ほとんどパラダイス

でも、電車に乗ると、涙が出てきた。

私、何やってんだろう。
振り回されてる。
気持ちが、心が、平常心じゃない。
こんなの嫌だ。
……好きなのに。
たぶん、本当に好きなのに。

帰宅してシャワーを浴びてる間に、上総(かずさ)んから着信があった。
留守電は入ってなかった。

……待ってなかったから、怒ったのかな。
どうしよう。

電話をかけ直すのも、抵抗を感じた。
だからと言って、普通に眠ることもできない。
中途半端に目が冴えて……。

気持ちを切り替えてベッドを出て、卒論の典拠確認のための下準備をしてると、3時過ぎにメールを受信した。

上総んだ!

逸(はや)る心を無理やり抑え込み、しばらく見ないで放置してみたけど……馬鹿馬鹿しくなった。

メールを開くと、全く予想してなかった文面だった。
……単に、お呼ばれのお付き合いが長引いただけじゃなかったんだ。

<約束、すっぽかしてごめん。今度こそ朝まで学美と過ごしたかったんだけど。ぼっちゃんが車で事故って全治6週間。明日からの代役をつとめることになった。正直、逃げたいけど、とりあえずやってみる。うまくできたら褒めてな。>

……大変だ。
上総ん、千載一遇のチャンスだ。
てか、代役のお稽古なんか、してないよね?
一晩で大丈夫なのかな。
やだ、心配でドキドキしてきた。

すぐに電話したいけど、上総んの状況がわからない。
……てか、どう考えも、てんやわんやで大変なはずなのに、電話とかメールとか……すぐ出なくて悪かったな。

とりあえず、メールを送ってみた。

<大丈夫?私に手伝えることある?朝食持って行こうか?台詞の相手しようか?>

……もちろん何の役にも立たないことはわかってるけど、「大変ね」「がんばってね」なんて悠長なことは言えなかった。
もし私が車を運転できるなら、今から大阪へ飛んで行きたいぐらいだ。
どうせ寝てられない。
今度こそ、始発で駆けつけよう。

すぐに上総んから電話がかかってきた。
『……ありがとう。』
声が、いつもと違った。
弱々しいかすれた声は、色気だだ漏れで愛しく感じた。

「今、どこ?」
『舞台。……真っ暗な客席が夜の海みたいで飲み込まれそう。』
何だか、入水自殺するヒトみたいだな。

「徹夜でお稽古?少しは寝ないと、最高のパフォーマンスできないんじゃない?」
『……とても眠れない。学美は?寝てた?』

ぐっと言葉に詰まった。
でも、意地を張ってる場合じゃなかった。
「寝てない。寝られなくて仕方なく勉強してた。でももう何も手がつかないし、考えられない。上総んが心配で居ても立ってもいられない。」
私は一気にそう言った。

上総んは少しの沈黙のあと、小さな声で言った。
『うれしいわ。マジで。』
気持ちが伝わってきた気がした。
私の気持ちも、ちゃんと伝わった気がした。
……通じ合うって、こういうことなんだろうか。

私の中の不安が霧散した。
体に力がみなぎってきた。

「始発で行く。待ってて。」
役に立たない、とか、必要とされてない、とか、そんな迷いすら消えた。
そばにいてあげたい。
上総んが、客席の海に溺れてしまわないように、ついていてあげたい。

『待ってる。ありがとう。』
何となく、上総んの声にも力がこもった気がした。