ほとんどパラダイス

「でも、2人とも学生なのに。学費と生活費、親に出してもらってる身で結婚なんて……」
「……働きます。」
「ダメ!修論書いて!」
「……だったら、働きながら修論書きます。だから、俺のもんになってください。」
峠くんは、真剣だった。

そして私には、唐突過ぎること以外に、拒絶する理由もなかった。
「わかった。わかったけど、本当にちゃんと修論書いてね?それから順番も守ってね。親御さんに挨拶してからよ?」

そう言ったら、峠くんはよほどうれしかったらしく、大型犬のように飛びついてきた。
勢い余って、押し倒されてしまった。

上から覗き込まれるように峠くんのお顔が近づいてくる。
「……大丈夫でしたか?後頭部、打ってない?」
「うん。びっくりしただけ。」
そう言ってから、改めて言い直した。

「ううん。痛い。後頭部ズキズキする。脳味噌が頭蓋骨にぶつかって損傷してるかも。責任取ってくれる?」

峠くんは、マジマジと私を見て、それからちょっと笑った。
「……責任、取らせてください。一生、お世話させてください。」

私も釣られて笑ってしまった。
「よろしくお願いします。あ、でも、ちょっと待ってね。」
……キスマークは消えたけど、アンダーヘアがもう少し生え揃うまで……とは、言えないけど。

峠くんは、何となく察したらしく、私を抱き起こしてからキスしてくれた。
「……待ちます。でも、もう逃がしませんから。」

そうして、ほほ笑み合って、どちらからともなくキスを重ねた。




その後も何の連絡もなかったけれど、毎週末、京都行きの新幹線に乗った。
客席から観る上総(かずさ)んは、ほんっとにイイ役者だと思った。
けど、日毎に距離を感じるようになった。
もはや手の届かないヒト。
私に一瞥もせず、堂々と役を演じる上総んに、確かな意志を感じた。

2人の関係が完全に終わった。
最後は、さすがに泣いてしまった。





千秋楽の夜、上総んはいつもの割烹に現れたらしい。
1月の花形歌舞伎では大役をもらったため、日夜、お稽古に集中してるようだ。
上総んはいつも通り、お酒は飲まず、お魚やお茶漬けを食べて帰ったらしい。
「峠くん。ありがとう。また、一緒に飲もうね。」
別れ際にそう言ってた、と峠くんが教えてくれた。

……あの家で1人、お稽古してるのかな。
考えると泣いてしまうので、無理やり頭から追い出した。




大晦日の朝、峠くんはいきなり割烹の大将から新しいお仕事に派遣された。
「芸能人のマンションで昼食と夕食を作る~?今日から?毎日?はあっ!?」
お正月は親族で顔合わせの予定やのに、何言うてんの!?

「……なんか、外食と総菜ばかりでしんどくなったらしくて、ほっとけなくなって。」
そういうところ、峠くんらしいんだけどさ。

「ほな、顔合わせキャンセル?」
どうしても声が尖ってしまう。

「……いや。今日、おせち料理を渡して、1日はそれでしのいでもらう。予定通り、今夜発つよ。明日の夜か明後日の早朝出れば、2日の昼飯には間に合うし。」
峠くんはそう言って、ふわりと私を抱き寄せた。