ほとんどパラダイス

しばらくしてから聞いてみた。
「上総(かずさ)ん、今月はいかがですか?さっき夜の部見た感じでは、すごくよかったように思ったんですけど。」

「うん。いいと思うわよ。若さで押し切ることも、技術にあぐらをかくこともなくなった。ちゃんと真摯に舞台に取り組んでると思う。」

ホッとすると同時に、少しだけ胸が痛んだ。
「そうですか。よかった。……もう、私がいなくても大丈夫、ですよね。実は、出がけにちょっとゴタゴタがあって……今日も客席から観ただけで会ってないんです。連絡もないし。わざわざ来させたくせに失礼だと思いません?」
ポロッと涙がこぼれた。

松尾先生はジーッと私を見て、首をかしげた。
「上総丈とマジで別れたいの?」

「……。」

はい!と即答できなかった。
嫌いじゃない。

困ってると、松尾先生はため息をついた。
「質問をかえましょう。峠くんと付き合いたいの?」
「はい。」
今度は即答できた。
そして、とめどなく涙があふれた。

「わかったわかった。てか、あんた、ほんっとに……何年、堂々巡りしてるの。別に、紫原は上総丈の母親じゃないんだからさ、さっさと別れて峠くんと付き合えばいいじゃない。上総丈だって、以前よりオトナになったわよ。覆水盆に返らず、って身にしみてるわよ。壊れたものは壊れたものなの。取り繕ったって、とっくに壊れてるんだって。」
そう言ってから、松尾先生は自分の言葉にハッとしたらしい。
「ねえ?上総丈も、紫原から解放されたいんじゃない?」

涙が、ピタッと止まった。
上総んが峠くんに送ってきたメールを思い出した。
……そうなの?
本当に、私を峠くんに託していいって思ってくれてるの?




「今日、上総丈に会いに行くのやめたら?客席で観るだけのほうがいいんじゃない?」
翌朝、松尾先生は私にそう言った。

中野大先生に、次の紀要に載せる報告書の下書きをお読みしてアドバイスをいただいていた最中だったので、返事に窮した。

「なによ、本音は会いたいの?」

私は力なく首を横に振った。
「会わないで帰って、いいですか?」

松尾先生に聞いたつもりだったけど、なぜか中野大先生まで黙ってうなずかれた。
……神様にOKもらった気分。

「ありがとうございます。」
中野大先生にそう頭を下げると、松尾先生は不服そうに
「ちょっと~。何でそっちなのよ。」
とぼやいていたけど、私の肩をポンポンと叩いて励ましてくれた。


昼の部、上総んは2つめの松羽目物の間狂言に出た。
コミカルな動きと台詞で場を和ませる。
ほんと、上手いな。
何だか安心して観られる役者になってるよ。
目で追っていると、一度だけ目が合った。
すぐに逸(そ)らされたけど。

なんだかなあ……。
ま、いいか。
ちゃんと来て観てることがわかってるなら、義理は果たせたよな。

上総んの舞台が終わったところで、私は席を立った。
ロビーに美子さんはいなかった。
他のお客さまを楽屋に案内してるのかな。

ま、いっか。
帰ろう。

峠くんに、早く逢いたい!