ほとんどパラダイス

「美子さん?何か、ありました?」

「……ごめんね。私が至らないばかりに……おかあさん、私が気に入らないみたいで……」
そう言って、美子さんはさめざめと泣いた。

あ~~~~~。
「いや、でも、まだ慣れてらっしゃらないだけちゃいますか。気長にお付き合いすれば大丈夫ですよ。」
そう慰めたけど、おかあさんの気持ちもわかる気がした。

「じゃあ、夜は恩師を訪ねようと思います。チケットは今日の夜の部と明日の昼の部、ですか?」
「ええ。今、渡しておこうか?楽屋行く?」

ひくっと、片頬が引きつるのを自覚した。
「チケットはいただきます。楽屋は、明日にしようかな。……とりあえず、祇園のおかあさんに挨拶してきますわ。」

「ほんと?よろしくお伝えください!ごめんね!」
そう言って、美子さんは私の手を両手でぎゅっと握った。


夜の部開演まであと1時間。
久しぶりの祇園をぷらぷらあるいて、おかあさんのお茶屋さんを訪ねた。
……あれ?
まず、打ち水してないことに違和感を覚えた。
玄関の引き戸を開けようとしたけれど、あかない。
どうやら鍵がかかっているらしい。
お留守かしら。
こんな顔見世期間中の土曜にお休みなわけないし……。
腑に落ちないながらも、花見小路を後にした。

夜の部で、上総んは世話物に出演していた。
柔らかい上方言葉はさすがにハマっていた。
いつの間にか、ぼっちゃん連中と同じような役を、それも顔見世でさせていたいただいていることに気づいた。
扱いが戻ったというよりは、むしろ後押しされてるのかもしれない。
上総ん自身もいい役者になったな。
単に技術的に上手いだけじゃなくて、深みとか情感がある。

……なーんて、客観的に観てる自分がちょっとおかしかった。
今さらだけど、上総ん、かっこいい役者さんだなあ。

しかし。
けっこう前のいいお席にいるのに、上総ん、意識してこっちを見ないようにしてないか?
何だか拍子抜け。
まあ、舞台から睨まれても、悲痛な目で見られても困るけどさ。
それにしても、ガン無視かよ。
……いいけどさ。


終演後、美子さんに挨拶して、すぐにバスに乗った。
暗い夜道は少し怖かったけれど、ずんずんと登って行った。

「……何て顔してんの。痴漢にでもあったの?」
ドアを開けた松尾先生にそう言われて、私ははじめて自分が鼻水まで垂らして泣いていることに気づいた。

「さぶくて。」
思わずそう言ったけど、松尾先生が暖炉が燃えて温かい居間に案内してくれると、さらに涙が出てきた。

「なぁに?浮気されて泣いてるの?」
「浮気……。」

今さらどうでもいい。
好きにやってくれ……とは思うけど……
自分が泣いてる理由がわからず、私はしばし沈思した。

なんだろう。
いやいや来たのに、無視されたから?
……適当な仮説だったけど、当たらずとも遠からず、かもしれない。
上総んが来て欲しいって言ったのに。
楽屋に連行されることもなく……いや、そもそも連絡が1つもない。
私がどこに泊まるとか、聞かれもしない。
会食が流れたって、どこかで夕食は取るんだから、連絡くれたっていいじゃない。
ないがしろ過ぎないか?
あまりにも扱いが違い過ぎる。
ほっとくなら呼びつけるな。
……私なんかいなくても、ちゃんと立派にやっていけるじゃないか。
それなら、もう、いいでしょう?
解放してほしい。

色んな感情がぐるぐるする。