ほとんどパラダイス

「まなさんに喜んでもらって、ますます料理人になろうって決意が固まったよ。」
学園に向かう途中で峠くんがそんなことを言いだした。

ギョッとした。
「いや、待って。それは困る!私、峠くんの研究も楽しみなんだけど。」

峠くんは苦笑した。
「ありがと。でも院に戻って修士論文書いても、就職となると狭き門だし。俺、まなさんほど頭よくないし。」

「そうか?俺は峠はできる男だと思うけど。」
加倉の言う通りだ。

「うん。野田先生も感心してたよ。峠くんは学芸員向きだって。」

「まさか。野田さんが俺を褒めるとか、あり得ない。」
峠くんは肩をすくめて笑った。

でも、野田教授は1年ちょっとぶりに逢った峠くんをべた褒めした。
後輩さんが峠くんをかなり高く評価したことで、紹介した野田教授のメンツが立ったようだ。
紀要の報告書も立派なもので、論文になるのが今から楽しみだと峠くんにはっぱを掛けた。
……野田教授は峠くんが4月から復帰すると信じて疑ってなかった。
「てゆーか、ふらふらしてないで、後期から復帰すればよかったのに。峠がいれば紫原のやる気スイッチも入るだろうし。」
それまで全く評価してなかったくせに、野田教授はまるで愛弟子のように峠くんの復帰を楽しみにしているようだ。
さすがに峠くんは、料理人云々を封印した。

「感想は?」
聞くまでもないけど、峠くんにそう聞いてみた。

「まあ、料理人になるのは、修論書いてからでもいいんじゃねーの?」
加倉にもそう言われ、峠くんは珍しく照れていた。

「何か、不思議。我ながら不器用な生き方というか、無駄な廻り道ばっかりしてると思ってたのに、続けてりゃ評価してもらえるもんなんだな。」
そう言って、峠くんはニッコリと私にほほ笑みかけた。

……今のって……。
峠くんにも、ちゃんと私の気持ちが伝わってるのかもしれない。
胸がまたドキドキと音を立て始めた。

「はいはいはい。そこ!2人で盛り上がらない!先にやることあるだろーが。」
加倉に軽くいなされて、慌てて峠くんから視線をそらした。
「何?」
私だけじゃない、峠くんも名残惜しそうに、いつまでも私に視線を残した。
「上総(かずさ)。」
そんな言わずもがななこと……。
ため息がこぼれ出た。


その夜は、美子さんまでやってきた。
5人でわいわい騒ぎ、いっぱい飲んで、笑って、おしゃべりして……夜中に美子さんはタクシーで帰って行った。

「以前の紫原さんに戻ったみたい。やっぱり、加倉くん達がいると元気になれるのね、よかった。ね、上総さん。これで安心して今夜からはちゃんと眠ってくださいね。」

別れ際の美子さんの言葉に、上総んはぐっと詰まっていた。 やっぱり今日はつらかったのかしら。