ほとんどパラダイス

うつむいてお店に入ると、カウンターに見知った顔。

加倉だ!

「よぉ。」
「加倉~~~~!」

思わず駆け寄った。
涙がボロボロとこぼれ落ちた。

ギョッとする加倉と、憮然とする上総(かずさ)ん。

「なんで泣く?おい、上総。こいつ、大丈夫?情緒不安定?」
「……いや。むしろずっと無表情・無感情で心配してるんだけど……加倉くんには泣きつくんだねえ。ふう~ん。」
上総んの嫌味を無視して、加倉のすぐ横に座った。

「元気だった?あ、紀要見たよ。加倉らしくてとんがってた。てか!何で、帰って来るなら連絡くれないの!」
めーめー泣きながら私はそう詰め寄った。

加倉はおしぼりを私の目に押し当てて、釈明した。
「仕事で来てるからさ、今日は何時に解放されるか見当つかなかったんだよ。それで、紫原には明日メールして、今夜は峠と話そうと思って、」

「峠くん!?」
驚いて、おしぼりから逃れた。
調理場の短い暖簾をかき分けて、ひょこっと顔を出したのは、以前より日焼けして男っぽくたくましくなった峠くんだった。

「わ!びっくりした!いつからココに?」
上総んも驚いてるようだったけど、私の驚愕はそんなもんじゃなかった。
口から、目から……心臓が飛び出てくるんじゃないかってぐらい、ドキドキが全身に広がってる。
血が逆流してそう。

「ども。9月末で1年たったんで辞めて、一ヶ月向こうでボランティアして、先週戻って来た。」
峠くんは上総んにそう言ってから、私にも頭を下げた。
「まなさん、元気でした?」

私は、こくこくこくっと、何度も首をたてに振り続けた。
涙はしとどに流れ続けた。
胸がいっぱい。
言葉が出ない。
うれしい。
ただ、うれしかった。

その夜は、久しぶりに楽しい夜だった。
割烹で峠くんの作ってくれたお茶漬けを上総んは上機嫌で食べた。

お店が閉まるのを待って、みんなで上総ん家に移動した。
以前のように、3人が飲んで盛り上がるのをほっといて先に眠る……なんてことはできるはずもなく、私も一緒に手当たり次第お酒を飲み話に加わった。

翌日も舞台がある上総んも、結局一睡もしなかった。
加倉の引っ越した町の旧態依然とした文化の話も楽しかったし、峠くんから聞く被災地の現状にも胸が熱くなった。
ただ、夜明け前に、峠くんが信じられないことを言い出したのは、全く笑えなかった。

「美術品を救いたくて向こうに行ったけど、本当に救わなければいけないのはヒトだって気づいた。料理人になろうと思う。」
驚き過ぎて、涙がまたボロボロこぼれた。

「うわ!なんで、泣く?てか、マジか?復学しねーの?修論書きながらでもいいじゃん。」
加倉の言う通りだ。
峠くん、せっかく優秀なのに。
向こうの紀要に載せた報告書も、すばらしかったのに。
もったいなさすぎる。
……でも……峠くんの想いもわかる。
実際、峠くんのお料理に救われた身としては、否定することはできなかった。

「また、東北、行っちゃうの?」
涙が止まらない。
峠くんは苦笑しながらティッシュで涙を拭いてくれた。
「泣かないで、まなさん。とりあえず調理師免許を取って、お金を貯めて、それからの話だから。」
「それから……行く気なんや……」
新たな涙がだばだばと流れ、峠くんの指を濡らした。