ほとんどパラダイス

「京都の水、やっぱり身体に合うみたい。普通に食事できたの。でも昨日こっちに帰ってきて、また水からダメになっちゃった。」

峠くんは、眉をひそめた。
「そうなんですか?……俺、当分、作ってあげられなくなるのに。」

いや、いくら私が図々しくても、今更峠くんに食事作れとは言えないってば。
ん?
当分?
……何かあるの?
首を傾げて峠くんを見た。

峠くんは野田教授とアイコンタクトしてうなずき合ってる。
おもむろに野田教授が口を開いた。

「峠は、後期から休学することになった。」

「え?」
驚いて野田教授に視線を移した。

「なんだ、紫原。やっぱり化粧したほうがいいな。大会の時にもちゃんと化粧してこいよ。」
野田教授はマジマジと私を見てそう言った。

……野田教授、ほんとに、上総んプロデュースの私の顔、お気に入りなんだな。

いやいや、そんなことより、峠くん!
「峠くん、留学でもするの?それとも仕事決まった?」
野田教授じゃなく、峠くんに向かってそう聞いた。

峠くんは、再び野田教授を見た。
野田教授は、言いにくそうに言った。
「あ~、まあ、そんなところだ。東北の美術館にな、嘱託で。」

東北?
「東北って……」

「震災で散逸したり損傷した美術品や古文書の調査と整理で、俺の後輩が科研を通してな、本格的に予算がついたんだが、なかなかヒトが決まらなくてな。」
野田教授の説明が全く頭に入ってこない。

峠くんが、いなくなる?
そんなこと、考えもしなかった。

野田教授の研究室を出て、すぐに峠くんの両腕を掴んだ。
「なんで!?院浪してまで入ってきたのに、峠くんの研究すごくいいのに、なんで、それ放り出して行くの!?」」

峠くんは驚いた顔で私を見て、ちょっと笑った。
「はは。まさか、まなさんに褒めてもらえるとは思いませんでした。……完全に辞めるんじゃなくて、戻って論文書き上げるつもりです。」

「いつまで!?休学するなら、半年?1年!?」
「さあ?キリのいいところまで?」
飄々とそう言った峠くん。

……そんな資格ないのに……私は峠くんの胸や腕を何度も叩いて……泣いてしまった。

「……ごめんなさい。」

言いたいことはいっぱいあるのに、何も言えなかった。
ただ、謝ることしかできない。

峠くんは、思ってた通り、私を責めなかった。
怒ってるようにも見えない。
でも……これ、一緒にいたくない、ってことよね。
あ、やばい。
すごく落ち込みそう。
てか、泣きじゃくって、ちょっと貧血。
頭が痛くて、くらくらする。

「まなさん?調子悪い?部屋、戻ろう。」
峠くんは、私を支えて歩かせてくれた。

院生研には、加倉がいた。
「加倉、ソファ空けて。まなさん、横になれる?」
うん、と言ったつもりだったけど声がかすれた。

「顔、真っ青!なに?お前、元気なはずじゃなかったのかよ。全然ダメじゃん。」
加倉はそう言いながら、タオルケットを持ってきてくれた。

……元気だったわよ。
てか、ここまでダメージ受けるとは、思ってなかった。

私、自分で思ってた以上に、峠くんに甘えてたかもしれない。