優しい胸に抱かれて


何事もなかったかのような顔でみんなが会議室から抜け出て来た。

『さて、仕事すっかー』

『ほら、袋』

靡いた風で飛ばされた袋は彼の足元に纏わりつき、それを拾い上げる。心配するなと言わんばかりに、しっかりと私の手に握らせた。

『すみません…』

どうしたらいいかわからない私は、みんなの背中を不安そうに眺めていた。


そんな不安を掻き消すかのように、前川さんの否定的な言葉を受けた。

『柏木。お前が悪い訳じゃない、注意していなかった俺が悪かったんだ。だから、お前が謝る必要はない』

怒られる覚悟をしていた私は鳩が豆鉄砲を食らったように、やはりきょとんとする。

前川さんだけが残されたがらんとした会議室の窓からは、昼の陽の光が差し込んでいて、その姿に影を落とす。


『うちの部署が何故、毎年二人採用するかわかるか?』

『…わかりません』

逆光で表情が読み取れず、声だけで判断するならば淡々とし過ぎている分、いつも以上に怖々しく感じた。

『平とは分野が違うからピンと来ないかもしれんが、同期同士、意識して競い合って、互いを高め合うためだ。どちらかが残るか、どちらもいなくなるか。はたまたどちらも残るか。今まで、二人共が残ったパターンは皆無だ』

『どちらかが…』

私と平っち。どちらかが残るか、どちらもいなくなる。


『お前たちもそうだが、これは工藤と日下にも言えることだ。そうだな…、5年経ってもそれぞれが残っていればいいな。力を付ければ他社に乗り換える奴もいれば、独立する奴もいる。女は結婚ってのもある。色々な人生の選択を迫られる、若いうちは特に多いだろうな』

前川さんの口から紡がれた、現実離れした言葉たちは難しく、途中から何を言われているのか解らなくなった。もう少し噛み砕いて話をして欲しかったが、口を挟めるような雰囲気ではなかった。

『柏木、これだけは言っておくが、お前や平には誰も期待はしない。今はみんなの背中を追い掛けろ。先輩連中の背中を見て盗め。教えてくださいって言って来るうちはまだ誰も期待はしていない』

『はい…』

厳しい言葉を投げられ、返事しかできない私を気にも留めず、前川さんは続ける。

『最初から完璧な奴なんていない。誰にでも最初はある、最初から出来る奴なんてここにはいない。書類をシュレッダーにかけようが、図面にコーヒーを零そうが、何度でも失敗しろ。何度でも躓いて派手に転べ。今は解らなくても失敗して得ることはたくさんある。それは自分で見つけろ』

『はい』

『お前の辛気臭い顔見ていたら、煙草が吸いたくなるな。片づけ、頼んだぞ』

『はい…』

言いたいことだけを言って、丸めた書類でぽんと頭を小突かれた。