優しい胸に抱かれて

 島野さんの台詞が頭の中を去来する。

『工藤が、崩れた足場の下敷きになって意識不明の重体だそうだ。今、救急車で運ばれている』


『…意識不明の重体だそうだ。今、救急車で運ばれている』


『救急車で…』



「誰のこと。救急車で運ばれてるって、誰が? 誰が、意識不明の重体って…。足場の下敷きになったって…、誰が…?」


「しっかりしろ!」


 体が揺れている。自分が揺らいでいるのか、揺さぶられているのか。


 どんなに涙を流しても、悲しみに突き落とされる。泣ききれない悲しさが胸の奥を突き立てる。



 違う。

 嘘。



 朝、最後に会った姿。


 眉を下げた笑った顔はどこか悲しげで。

『だったら、今日も頑張れる』

 柔らかい口調。

 いつもしてくれた仕草で、頭に置かれた手は大きくて温かい。

 鼻腔をくすぐるセドラの匂いは紘平の体温も混じった優しい香り。



『紗希』

 って、私を呼ぶ声が優しく響く。


『紗希、…この指輪を渡したときに言った言葉は、本心。ずっと俺の側にいて欲しいって言ったけど、本当は俺が紗希の側にいたいんだ』


 目を開けると優しい幻想は瞬時に消えていき、真っ暗に包まれた。



 嘘。


「うそ…、嘘っ…」


 明日にしろ、今すぐ死ぬわけじゃあるまいし。

「部長の…、嘘つきっ…」


 言いようのない背徳感が胸の中を掻き立てる。


 泣きじゃくり取り乱す私の体を包む。誰かわからない大きな胸に抑え込まれ、なだれ込むように顔を伏せ咽ぶ。


 嗚咽に紛れたしっかりとした通る声は、いつもより力がない。

「柏木! 暴れるんじゃねぇよ…」


 この声は日下さん。この匂いは煙草。抱き込む力は優しさの影も形もない。


「日下さんっ…、びょ、病院っ! 病院、連れてってください…、っ」

「連れてったじゃねぇか、風邪だっただろ」

「ち、ちが…、違うっ…! 病院、…っ」

「だから、連れてっただろ! また、こいつっ。いてぇって、お前のひ弱なアッパーでもいてぇもんはいてぇんだ! お前、鼻水つけんじゃねぇよ…。マジ、面倒くせぇ…」