優しい胸に抱かれて

 喉の奥に張り付いた苦みに口元を歪ませる私へ、日下さんは背もたれに肘を置き、頬杖ついてこちらを見た。

「平が覚えてねぇんだから、お前も覚えてねぇよな。手っ取り早く言ってしまえば、お前に告った男は昔ここにいた奴だ。森田さんの下にいた島野さんの同期。センスねぇけど、クライアントからの信頼度は高い、仕事は丁寧。寝首掻かれるまでいかなくても結構やっかまれていたらしい。お前に近づいたのも何か目論んでいたかもしれねぇってことだ」

 おにぎりの欠片を口に放り込み、「お前の答えがイエスだったら、工藤の取り乱す姿が見れたじゃねぇか。つまんねぇな…」と、面白くなさそうに吐き出す。


 島野さんの話は聞いたことがなかった。聞いていたかもしれないけれど、入社したてのあの頃じゃ記憶の片隅にも残っていない。変な人だと認識していたし、慣れてきたと思っていたところに出向行っちゃったし。


 だから、名前。知っていたんだあの人は。商品部だったんだ、なんで総務部だと思ったのだろう。

 それに日下さんが、携帯鳴らしたのは邪魔するためだったんだ。あの時の話は過去の自分を重ねているんだと思ったけれど、そうじゃなくて本当に説得していたのかもしれない。


 さも、つまらなさそうにする日下さんへ投げ掛けたい言葉や聞きたいことはたくさんあるのに、声が出ない。


「…金魚か? まぁ、黙って座って聞いてろ。あんなに敵意剥き出しにしてるのも滅多に見れねぇぞ」

 口をパクパク小刻みにさせているだけの私に、嫌そうな目つきをした日下さんはそう言って、マスクをつけ直す。下から上へ視線を動かし、島野さんの背中に向け目配せした。


 黙って座ってろの言葉通り大人しくしていたわけではなく、何がどうなっているのか考えようとしても、おでこに熱が集中し頭の中心が痺れる感覚に断念してしまう。頭の芯がふらふらしているのか体が揺さぶられているみたいに、視界が揺れる。

 この不調の原因は風邪。と、自分の中で結論付けた。向き合う2人を遠巻きに、辛うじてある意識にへばり付く。