優しい胸に抱かれて

「昨日を振り返っても昨日には戻れない。今日という日は昨日と同じではない、身に染みついてるだろ? 周りが見えなくなるくらいなら、相手に全てをぶつけろ。相手もぶつかってくるかもしれないが、全力でとことん衝突し合え」


 彼の話を聞いている間、目は見れなかった。瞳を見たら泣いてしまいそうだった。

 想いを伝えてくれたのに、自分勝手な真意だと責め立てるような言い方をして、最終的には泣きながら指輪を突き返して、逃げてしまった。


「…部長、会社に戻ります」

 何を言いたいのか悟った部長は、大きな溜め息を吐いた。

「馬鹿か、風邪ひきたいのか。そんなずぶ濡れで戻る気か? 工藤だってもう帰っているだろ。明日にしろ、今すぐ死ぬわけじゃあるまいし。それに、すっとぼけた奴には少しお灸を据えるくらいがいいんだ。帰って、濡れた服を脱いで熱い風呂にでも入れ」

 言われて、一体何時なのだろうと、ダッシュボードに目を向ける。パネルに埋め込まれたカーオーディオには、22時25分と微かな光で表示されていた。


「苦しめられた分、あいつに責任でも取ってもらえ。それくらいのこともできないなら俺の部下にはいらない。好きな女の責任も取れないような建築デザイナーは不要だ」

 唇の上に厭らしい薄笑いを浮かべる。


「本人に言ったら、意地になるでしょうね…」

「薄々、気づいているだろがな。俺の嫌味には」

「おそらく…」

「お前もだ、いつまでも辛気臭い顔していると、全ての仕事取り上げるぞ」

「…そうなったら、困るのは島野さんですね?」

「だったら言ってやれ。センスを磨けってな」


 そうしたら自覚症状出るだろうか。ふと、そんなことを思いながら、雨が滴る窓ガラスを眺めていた。


「…部長、本当にありがとうございました。おやすみなさい」

「これだけは言っておく、風邪ひいたら殺すぞ。移す前に殺すからな」

 送ってもらった家の前、降りて助手席のドアを閉めた。すかさずウィンドウが開き、殺人予告を受けた。