優しい胸に抱かれて

 顔を見合わせ笑って、礼を述べ退散する気でカウンターの外側へ回りよっしーの方へ向き直ると、苦しげな表情で心の内を漏らした。

「…わかっていながら何もできないでいる私も馬鹿かもね」

「馬鹿じゃないよ? みんなのため思って、いつも怒ってるんでしょ?」

「紗希、ひどくない? いつもじゃないわよ?」

 再び、吹き出すように笑い合って、今度こそ総務部をあとにする。



『組織って腹立たしいものなんだ』時々、部長の本音が出ることがある。

 コンピューターの回路みたいに指示された通り社員は動く。上のイエスマンばかりでご機嫌伺って、ごますり、ミスを隠してやり過ごす。そこまでして一体なんの価値があるのだろう。

 
 店舗デザイン事業部にはそれがない。退職して他の会社で順応していけるのか一抹の不安を覚える。うちの総務部に異動になったとして、よっしーのように溶け込めそうにない。

 これでは『向こう見ずもいいとこだ』部長の言葉は否定しきれない。言われてみれば無鉄砲だ。適当だと職を転々とすることになるだろう。きちんと考えないと。その前に、考えるべきことはまだあるのだから。


 心の乱れは思考をも乱す。パーティションの開けた隙間から作業場へと抜けようとしたところで、人同士の体当たりの感触が衣服の下へ伝わって、その声に顔を上げた。

「…あっ、ごめん。大丈夫か?」

「私こそ、ごめんなさい。大丈夫…」

「…今のは、わざとじゃない」

 何故か作業服姿の彼は困ったように眉尻を下げた。頭から雫を垂らし、作業服にところどころ描いた濃い水玉模様。窓の外、朝より雨脚が強まっていた。


 一瞬だけ触れた身体は正直で、じんわりと火照る。熱を帯びた肩から腕をさするように手を当てる。

「わかってます…。すみませんでした」

「急いでて前を見てなかったのは俺だから。ごめん、時間ないんだ」

 と、ポンッと頭に乗った掌は、本人ごとすぐに離れていった。いつ戻ってきて、どこへ行くのかわからない後ろ姿は見えなくなった。


 思考の乱れは心をも乱す。考えていた今後のことが頭の中から家出していった。作業場へ足を踏み入れる前と踏み入れた後のこの違い。乱されっぱなしだ。