優しい胸に抱かれて

 表情から笑みを消し去り、真剣な瞳を向ける。未だ指で挟んでいた一枚の名刺を、こちらへ見せるように顔の横でかざしている。

「本音は…、できれば使って欲しい。頑張って勝ち取ったものを簡単に捨てちゃうのは勿体ない。これが、紗希がこの2年頑張ってきた証だろ?」

 そう言ってメモ帳の上に名刺ケースを乗せる。冷めてしまったナポリタンの傍らで、私と同じように行き場を失ったメモ帳は、困ったように見上げているみたい。若干流れた沈黙を破ったのはコーヒーを運んできたマスターだ。


「紗希ちゃん、これ下げちゃっていいかい?」

「あ、マスター…。ごめんなさい」

「いいから、いいから。こっちが勝手に出したんだから」

 申し訳なさそうにする私に、「冷めたら不味いから、無理して食べなくていいからね。あとで調理してまかないにでもするよ」と、言ってくれたマスターによって、手がつけられなかったナポリタンは下げられた。


 その間、注意力が散漫になることなく、真っ直ぐ射抜くように向けられた眼差しに、耐えきれなくなって顔を背けカップにミルクを落とす。

「紗希? 紗希が俺の邪魔しないようにって、感情隠して我慢してさ。…まあ、隠し切れてなかったけどさ。その後も、頑張ってきたのに何でそれを…」

 その瞬間。ぽちゃん、クリームの容器がカップへ落下した。

「あっ…」

 思わず口が開き声が出る。彼は自分のカップにクリームを一つ入れると、すかさず私のカップと交換する。一旦放した名刺をまた手に持った。動作の素早さに、話を中断された苛立ちが見え隠れしている。


「…何で捨てようとするわけ? 紗希の考えはお見通し、俺が知らないとでも思った?」

「知られたからって…、関係、ない…。関係ないんだから、放っておいてください」

 前を向き直れば、陰りのない真剣な表情を向けられる。俯き加減でカップの中で揺れるコーヒーへ視線を合わせた。

 
 先に別れを切り出して必要ないって捨ててったのは、この人だ。