優しい胸に抱かれて

 ぱちりと開けたクリアな視界に映し出されたのは、無論声の主しかいない。くっきりした二重瞼、柔らかい瞳に弧を描く。優しさの中に訝しげな表情を含ませ、目の前に座っている。

 私のことを名前で呼ぶのは1人しかいない。物音に気づかぬ間に現れた、彼の伸びる左腕はセドラの香りを帯び、私の眉と眉の間に人差し指が吸いついていた。


「紗希? 部長は?」

 私を陥れるために彼は呼ばれたらしい。部長の真意は全く汲み取れない。だからこそ辞めたいのに、引き留めるわけでもなくそんなに叩きのめしたいのだろうか。


「…部長なら帰りました」

「呼び出しといて帰るか…?」

 一瞬、不可解そうに方眉を動かした彼は、瞳孔を大きくさせ私の眉間から指を離す。テーブルの隅っこに追いやられた名刺ケースへ、離れていった左手が捉えた。箱から一枚抜き取って指に挟んで眺めている。


 部長も、目の前の彼も何がしたいのかわからない。それは私も似たようなもので、何をするべきなのかわからない。けれど、しなければいけないとすれば一つだけある。

 思い出したように鞄へと手を伸ばし、白い封筒を中へと完全に押し入れ、鞄の中身を探る。もたついているところへさゆりちゃんがやって来た。

「…紘平さん、お待たせしました。何にします? ナポリタンですか?」

「いや…、コーヒーだけでいいよ。紗希にも新しく淹れてやって」

 渋い顔をして勧められたナポリタンを断り、私の空になったカップを指さした。

「はい、コーヒーですね。…やっぱり、お2人はお似合いですね。いつまでも仲良しで羨ましい」

 伝票に記入しながらさゆりちゃんは、嬉しそうな笑顔を見せそう言った。

「え…?」

 と、驚いて漏れた声は店内の騒然とする音でかき消される。

「最後にツーショット見れて嬉しいです」

 私たちが別れたことはマスターが知っているから、さゆりちゃんだって知っているんだと思っていた。知っているからこそ、彼の話を持ち出さないように気を遣われているんだって思っていた。


「待って、さゆりちゃんっ。違うのっ…」

 去って行こうとするさゆりちゃんを追いかけようと、慌てて立ち上がる。その動きを止めようと私の腕を掴んだ彼は、眉尻を下げ優しく微笑む。

「紗希、いいから」