優しい胸に抱かれて

 上司である部長は理解してくれて、必要とされている。その期待に応えようとしている島野さんが後悔しているとは思えない。

「どうだろうな。だが、残ったことでお前と接点を持つきっかけになったんだ。お前が入社してから、今も、お前のことを一番気に掛けているのは島野だ。みんなに頼られて悪い気はしないだろ? 島野も同じだ。あいつらにはお前が必要だってことに、とっくに気づいていながら、逃げ出すのか?」

 上瞼を弛ませ穏やかな顔つきをしていた部長は、もう目の前にはいなかった。表情を改め、いかにも厳粛した視線を浴びせてくる。その瞳は、みんなの期待から逃げ出す負け犬か。とでも言いたげな、冷ややかな目をしていた。


 引き留められたかったわけでも、気づかされたかったわけでもない。もちろん、嘲るような白い目から解放されたかったわけではないのに、咄嗟に口から出て行った。
 
「それだけじゃ、ないです…」


 それだけのことならこんな決断は下していない。今までと変わらず、馬鹿だの鈍いだの言われながら続けていける。必ず、付きまとってくるものが別にあるから。優先順位を無視して心の奥で何かが大きく騒ぎ出すから。

 すぐにでも逃げ出して楽になりたい。


「工藤、か? だから、言ってるだろ。その精神力の弱さを何とかしろと」

 どうにかできるものならとっくにしている。何とも処理できないのを理解しているからこそ、意図として部長はその名前を口にしたのだろう。


「何ともできません。部長、最後に教えてください。森田さんと何があったんですか?」

 仕事以外のことで裏切ったという話だったが、仕事以外となると当時は検討も及ばないことだったが、今なら何だか解る気がする。これしか思い浮かばない。

「恋愛…、ですか?」 

 確信を突いたはずだった。少しくらい表情に現したっていいと思う。それどころか部長は嫌みたらしく口角を上げた。
 
「お前には関係ないことだ。それと、最後って言うがお前の最後を決めるのは俺じゃない」

 と、全く動じず軽くあしらって話をすり替える。