優しい胸に抱かれて

 部下じゃないならなんだろう。それが顔にでも出ていたのか優しく笑う。

「2人の時は名前で」

 そう言った視線を無理矢理外す。じゃあ、どうして平っちがいたのに名前で呼んだのか。もういい、考えない。と、ゆっくり立ち上がる。


 部下でないのなら、ただの元カノ。それくらい私にだってわかる。名前で呼び合う立場じゃない。


 この人はただの上司。何でもないただの上司。それも、もうじき関係なくなる。

 同じ過ちはもう二度としないんだ。


「…私、そろそろ戻ります」

「乗ってけば? どうせ戻る場所は同じなんだしさ」

 断る理由が見つからず、渋々頷いた。渋滞していたとしてもせいぜい15分我慢すればいい。旭川の距離よりずっといい。
 
 同じ会社、戻る場所は同じ。意識せず別々に動いているのに行き着く先もこうして同じ。

「年に一度と言わず、また今度、ゆっくりいらしてください」

 と、本村さんは一緒に外に出て丁寧に、笑顔で見送ってくれた。


 また今度が来るのかわからない。



 会社へと走り出した彼の運転する乗り心地のいい黒い車は、ビルの隙間を縫って沈む太陽の光が、切なく照らす街へと溶け込んでいく。

 朱色に染まる空を見ていると、あの頃に戻りたいと思ってしまうのは、彼の運転する助手席に乗り込んでいるからか。戻れるわけないのにひどく滑稽だなと、形にならない溜め息は肩を縮こまらせるに留めた。