優しい胸に抱かれて

 企画課には誰もおらず、もちろん野村さんもいなかった。結構な確率で喫煙所にいる人だ。喫煙所を覗くと、ガラス張りの間仕切りで仕切られた狭い空間は、空を泳ぐ雲のようにもくもくとタバコの煙が充満している。

 だが、姿は見つけられず、内線入れてからくればよかったと、頭の働きが鈍い自分にうんざりしつつ、デスクに置いといてよっしーに伝言をお願いしようと、踵を返す。

 野村さんの机の上にそっと企画書類を置き、視線を合わせる。


 商品化はこれで2度目。嬉しいはずなのに憂鬱でしかない。どうして、辞めようとしている今なんだろう。

 取り消し、できないんだろうか。できるわけないだろうし、こんな結果は困るだけ。ほんと、スムーズに事が進まないものだ。


 そんなことを考えながら、青色のパーティションを抜けた時。ドンッと何か柔らかなものとぶつかって、その感触が人だとわかるまでそう時間は掛からなかった。


 声を掛けられ、顔を持ち上げると知らない男の人に支えられていた。

「大丈夫?」

「すみません、ごめんなさいっ。本当にすみません…」

 顔を覗かれ、男の人から体を離し丁寧に頭を下げ謝った。

 視界不良の他部署では特に、出入りは気をつけなきゃいけないのに。知らない人に体当たりしてしまうなんて、とんでもない失態に私は何度も謝った。
 

「…そんなに謝られても大丈夫だから、柏木さん」

「…え?」

 何で名前をと、不思議に思ってまた頭を上げた。30歳前半か、もっと若いかもしれない人は綺麗な黒髪を揺らし目を細めて、優しい笑顔で私を見下ろしている。


 あ、そっか。社員証だ。首からぶら下がった社員証を探していると、優しく笑った。

「違うよ。名前は知ってるよ、総務部によく来るでしょ? ここでも何度か見たことあるよ。可愛い子だなって、ね」

 目の前にいる人は社員証をジャケットの中にしまい込んでいて見れなかった。