優しい胸に抱かれて


『そ。まだ入ったばかりの頃。全然、駄目で空回りして、社会人ってのはすごいと思ってた。そんな俺でもほら、こんな感じだしさ。俺らで緊張するなら同期の奴でもいいから、もっと積極的にさ。今はわからなくても当然だよ、まだ1ヶ月だろ?』

もしかすると、今にも泣き出しそうな私への気遣いだったのかもしれない。

『この1ヶ月、柏木の笑った顔だけ見たことない。もっと笑えば、もっと楽しくなる。そうしたらそのメモ帳も無駄にならなくて済む』

慌てて仕舞い込んだ無駄に分厚いメモ帳が、鞄からひょっこり顔を出していた。

それに目配せして『たくさんメモってんだろ? だけど、いつかそれに救われる時が来るから』そう言って、カップに残ったコーヒーを飲み干した。

 
静かに見つめていたのは声にならなかったから。何か答えれば、せっかく泣かないと決めていたのに、自分で自分と約束したそれを破ることになりそうだったから。


『いっつも泣きそうに困った顔してるからさ、癖になっちゃうぞ。ここ』

自分の眉間を指さして『皺が寄ってる』と、眉尻を下げた彼の眉と眉の間にも皺ができていて悲しそうに笑う。


その後、歯を食いしばり涙目になる私の腕を引っ張って、会社へ連れ帰ってくれた。

『会社が見てる。ほら、しゃきっと背筋を伸ばして、力抜いて』

後ろから私の肩に両手を置くと背面に引っ張り、胸を張らせた。

『…って、これはセクハラか?』

笑い飛ばすと、そろりと掴んだ手を離す。

置かれた手のぬくもりが、離れても残っていた。