優しい胸に抱かれて

「工藤のところなんか立ち上げたばかりの名の知られていない事務所だったから、コネはない、依頼もない。放心状態。笑えるぞ、最初の3ヶ月は仕事がなかったんだ」

 つい数分前の真面目さはどこかに吹っ飛んでいったのか、笑えるぞって、馬鹿にしたような笑みを漏らした。明らかに人の不幸を面白がっている。
 
 だったら尚更、通常3年の期間を短縮できたのだろう。

「あいつはちょっとズルいんだ」

 ここが、と頭を指さす。それまで黙っていた日下さんが静かに声にする。

「確かにあのやろうは抜け目ねぇな」

「…え?」

「最初の年は飛び込みで営業行ったり、更に他社の設計事務所回ったりえらい苦労したらしいが、次の年。駅前に商業施設が建ったらしく、入店予定の飲食店を安く請け負う代わりにまとめて34店舗取りやがったんだよ」

「…それの何がズルいんですか?」

「解れよ、ほんと単細胞だな。1年で2年分のノルマ達成したからじゃねぇかよ」

 そんなこと言われても、年15店舗が、2年分やり遂げたからってノルマ達成となるとは思わない。

「それって有りなんですか?」

「そんな知らねぇよ、戻れたんだから有りだったんだろ。知ってたとしてもできるかどうかは別だよな?」

 椅子の背もたれに背中を預け、頭の後ろで両手を組んでいた日下さんは、顔だけこちらに向けて島野さんを伺う。

「無理だな。あいつだからできたんだ」

「それは…、優秀ってことですか?」

「さあな、あいつが優秀なのか馬鹿なのかはさておき。最初の1年は15店舗ギリでクリア。次の年で38店舗、計53店舗。ノルマは余裕でクリアだ。しかし、一気に34店舗だから寝る暇なんかなかっただろうな」

 確かに、一気に34店舗なんて気が遠くなる。寝る暇がないのも頷ける。

 寝る暇がない忙しさの合間に、彼には心の支えと呼べるような大事な人ができた。そんなに器用な人だったっけと、頭の中でクエスチョンマークが跳ねるくらい、全く想像がつかない。

 いつから付き合ってるんだろう。相手は神戸の人なのだろうか、でも貰った連絡先の住所は空欄だったから札幌の女性と一緒に住んでるのかもしれない。