優しい胸に抱かれて

 教えてくれるかどうかは別として、躊躇いがちに開いた口から気になっていた疑問を2人に投げた。

「…出向に行くのと行かないので何が違うんですか? やっぱり出世に関係あるんですか?」

「何がって…。そうだな、自信が付く。いきなりわけのわからんとこに独り放り込まれてみろ。帰るわけにも辞めるわけにもいかないし、やるしかないだろ?」

「自信…?」

「やり切ったから自信がつくし、自信があれば何でも挑戦できる。誰もがやりたがらない案件やら、誰もが倦厭するクライアントのところにも率先して出向いたりだな。そういった諸々が結果に繋がって、出世して給料にも差が出る」

「そんなにお給料違うんですか?」

「建築デザイナーってもな、うちの会社じゃサラリーマンと変わらない程の給料だ。寝る時間も惜しんでやらなければならない時もある。独立する奴もいれば他社に行く奴もいるんだ。それが結果に表れるんなら出向に行くだろ」

「ただ出向先で設計図を書くだけじゃねぇ。ノルマがあるんだよ、年15店舗。もしくはデザイン料のトータルが2千万」

「うちみたいな人数がいて名の知れた会社だったら、15店舗なんてすぐ達成だ。黙ってても依頼は舞い込んでこない、小さなデザイン事務所で設計だけとはいえ1人で15店舗はなかなかしんどいぞ」

 日下さんがいた3人しかいないような事務所や、島野さんがいた人間関係が芳しくないような事務所で1年間で15店舗の設計。デザイン料は坪数や店舗の営業内容にも比例する。

 ノルマがあるなんて知らなかった。みんなが口を揃えて出向は試練だと言う理由はそれだったのか。ここにいれば協力し合いながら、1人が月に3件程度の案件を持つ。

「それを3年。3年で45店舗…。出向が試練って言われるのがよく解りました。厳しい試練ですね」

 知らない土地で、慣れない環境で、その試練。甘ったれの私は間違いなく逃げ出している。