優しい胸に抱かれて

 そこに、左手にコンビニの袋を右手でフェイスタオルを、どちらも振り回しながら先程とは打って変わってご機嫌な足取りで、日下さんが作業場へと戻ってきた。

 パース図の束を再び手に取り、朝御飯を買い、顔を洗ってきた様子の日下さんへすかさず声を掛ける。

「日下さん、これ…」

「あぁ、それか。捨てといてくれ、全部ゴミだ」

 人差し指を突き出し「そこら辺のも全部な」と、作業場全体をぐるりと一周させた。

「ゴミ…、ですか?」

「納得行ってねぇんだから、ゴミだろ」

 捨てるには勿体ない、未完成とはいえ立派なアイデアなのに。以前と変わって雰囲気が柔らかくなったデザインたちに視線を落とす。

「…日下さん、出向先はどんなところだったんですか? 大変でした?」

「大変…、か。まぁ、大変だったかもしれねぇな。俺の感性とは真逆なところ。小せぇし狭苦しい事務所に建築士のおっさんとその下に冴えない建築士と事務員のばばあの3人しかいない、絵に描いたようなアットホーム、ってとこか?」

 日下さんがアットホームな職場で仕事をしているのが想像できない。想像しようにも全く浮かんでこない。そんな場所に溶け込んでる日下さんの姿は恐ろし過ぎる。でも、だから柔らかく感じるんだ。

 きっと、馴染むまで大変だっただろうと思う。日下さんはどちらかといったら一匹狼だから、誰にも左右されないところは一種の才能だろう。それでもクライアントの前でだけは紳士だから、不思議な人。

「…それは、大変でしたね。でも、これ。それが伝わってきますね?」

「…初めはこんなところに放り込みやがってって苛々して、投げやりでいたのが、3年もいればそれなりに慣れて、ばばあと芸能ニュース観ながら茶飲んでんだからな」

 お茶なんて似合いそうもないこの日下さんが、家庭的な職場に慣れ親しんで、ましてや芸能ニュースなんて一番興味なさそうなものまで観て。3年という期間はそれだけ長かったってことなのだろう。