「…はあ、はあ…うぇ。」

血の味がする。意外と物置から距離があった先程の場所に、全速力で走って駆け込んだ。
使用人らしき人がこちらを見てぎょっとしているが、それ以外の人は気が付いていない。セーフだ。
一方、エステルの方は息一つ切れていない。なんだこいつ。

「お嬢様、ご苦労様です。あれだけ出来るのならば、ここでは問題ございません。」

あくまでここに限った話ですが、とエステルが言っているのを聞いた横で、私は必死に息を整えていた。
あくまで初歩の初歩、礼の仕方とそれに添える一言だけを習っていた。その場しのぎのものだが、何もしないよりましだ。

「…まあ、今までの私よりもましなのでしょう?だったらいいじゃん。」
「そうですけど…私以外とその口調で話されませんように。おかしくなったと思われてしまいますので。」
「貴方はもう私がおかしくなったと思っているんでしょ?」

私が笑ってそう言うと、エステルは肩をすくめた。

「噂に聞いていた人物とはかけ離れていましたから。」
「因みに、その噂って…いや、いいわ。聞いたら後悔するに決まってるし。」

絶対悪い噂だ。この子は叱られただけで使用人をクビにする子だし。


「さ、そろそろお嬢様の番です。くれぐれもご無礼の無いように。」
「…ええ。」

促されて、私は陛下と王妃様の前に出た。臣下の礼をとる。ふらつきそうになるのを何とか抑える。

「ご機嫌麗しゅうございます、両陛下。私はライオネル・ヴァンクリーフが一子、ユーリ・ヴァンクリーフと申します。本日はお招き頂きありがとうございます。」

よし、決まった…!これで頭下げて帰りゃあいいんでしょ?楽勝、楽勝。

「ふむ…ユーリ・ヴァンクリーフ。少しは礼儀作法を覚えたようで何よりだ。」

げ、嫌味じゃん。なんて答えりゃいいの。私には記憶がないんだもの、どうしようもないし…。
エステルに視線を投げ掛けるが、困った様な顔をして首を振るだけだ。あれ、絶対楽しんでるでしょ。口元笑ってるもん。

「も、勿体無いお言葉…いや、ここは今までの非礼をお詫びすべき?いやここは無言で通すべきでは…。」
「そなたに謝るという思考が存在したとはな。」

陛下は冷ややかに笑ってこちらを見ている。心の声が漏れていたようだ…。
陛下の言葉からすると、謝っても許す気がない?それとも、反応を見ているのか…。

「もし後者だとしたら、陛下もエステル並に性格が悪いということになるけど。いやでも、一国の王なんて性格悪くないとやってけないか…。」

「はっはっは、全くもってその通りだ。」

あ、また漏れた…。いやそもそも、私は本当に喋っているのか。むしろエステルや陛下は人の心を読む力があるのでは…。
うん、そういうことにしておこう。エステルがさっきから睨んできている。怖い。

「も、申し訳ございません。」
「何を謝ることがある。今日のそなたはとても愉快だ。」

いつもはとても不愉快なのですね。

「ようやく私の息子の婚約者としての自覚が出てきたようで何よりだ。しかし、そなたは未来の王妃なのだからな。もっとしっかりしてもらわなければ困る。」
「こ、婚約!?」

聞いてないけど!?誰だよ婚約者!いざ、尋常に勝負…

「何を驚いておる。シャロルに婚約を申し込んできたはそちらではないか。なあ、シャロル。」

え、私が婚約をせがんだの!?しかも王家に!?てか、婚約者女の子!?

「…ふん、そなたのような者の婚約者になど、なりたくはなかったがな。」

あれ、男だ。シャロルって女の子の名前だよね、イメージ的に。でも目の前に出てきたのは…確かに男だ。身長高いし、喉仏出てるし。

「でも見た目可愛い…。私より可愛いかも。やばいな、私より可愛いフィアンセ…。」

顔が中性的で、もしかしたら『ユーリ』よりも、可愛いかもしれない。後で鏡見て確認しないと…。

「なっ…!貴様、我を愚弄するか!!」
「いやいや、事実ですし…。」
「ぐっ、この…!王太子たる私に、その口の聞き方…!」


歯ぎしりをしている王太子様は、折角の顔の良さが台無しになっている。まあ、所詮そんなもんだよね。
…そういえば、この人今日の主役なんだよね。怒っているのは、私が祝いの言葉を言っていないせいか。そりゃ怒るよね。

「…申し訳ございません。」
「全然変わっていないではないか!周囲のものが口々にそなたは変わったと言うから、少しはましになっているのかと…。」

まあまあ、そんなに怒らないでよ。ちゃんと言うから。

「お誕生日、おめでとうございます!殿下!」

にっこりと笑ってそう言うと、皇太子殿下は一瞬呆けてから、また怒り始めた。

「このタイミングでそれを言うか!!」

…あら?
陛下はにやにやと笑っていて、王妃様は溜息をついている。エステルは鬼と化す寸前…。ああ、私やらかしちゃったのね。

私が『あさか』だった時、友達に言われたの。「あさかはたまに空気読めない子だよね」って。
その時は失礼な、と憤慨したけれど、後になって自分の行動を振り返ってみると、そういう時もまあ、確かにあったよな、と思った訳です。つまりは、そういうわけです。

これは、まだ見ぬお父さんとお母さん、そしてエステルからのお叱りを受けるパターン…。ああ、辛いなあ…。