*
どうしよう。近過ぎて顔が上げられない。
彼の声を初めて聞いた。
言葉遣いは乱暴だけど、低くて甘くて、優しい声だ。
そして彼は、その声の通り本当に優しい。
私の盾になってくれている。
偶に電車で一緒になる友達が、「あの人カッコいい」とこっそり指差して教えてくれたのが、彼に気付いた最初。
その時一瞬目が合って、そしたらすぐに逸らされたけど、だから却って何だか気になってしまった。
彼は特別のっぽだから、そのつもりで探せばすぐに見付かる。
毎朝同じ時間の電車に乗ってる事に気付いたから、私も乗るようにしたんだ。
どんなに混んでたって、揉みくちゃにされたって!
でも声を掛ける勇気の無い私は、見てるだけで終わるんだろうと思ってた。
いいじゃない。見てるだけならタダだもの。
好かれもしない代わりに、嫌われもしない。
でもこれは、千載一遇のチャンスなんじゃないだろうか。
声を掛けなければ、嫌われなくて済む代わりに彼の記憶にも残らない。
この機会を逃したら、私はきっとまたタダだから見てるだけの人になる。
よし、声を掛けてみよう。
まずはお礼を言うんだ。庇ってくれてるんだもの。
丁度向こう側のドアが閉じる所で、混雑は変わらないけど人の流れは止まった。
私は意を決して顔を上げる。
「「あの!」」
「「……」」
上げた声が盛大にかぶったよ……。お互い黙り込んで落ちる沈黙。
やがて彼が、ぷはッ、と息を吐いて笑い出した。
あ、笑うと結構可愛いんだ、なんて感想は置いておいて。
お礼だお礼。
「すいません、庇ってもらって。無理しないでくださああああ」
お礼の言葉尻が間抜けに引っ繰り返ったのは。
ガタン、と動き出した電車が、揺れたからだ。
ですよねー、ドアが閉まったらそりゃ発車しますよねー。
情けなく傾いだ身体が、肩を掴まれて支えられた。彼だ。
同時によろけた足が、ふみッ、と何かを踏んだ。
ちょっとこれ彼の足じゃないの? 案の定、
「痛ッッ」
「ひいい、すいませんすいませんすいません…!」
「……や。いいよ、いいからそんな謝んな」
庇ってもらった恩を見事に仇で返した私に、彼はそう言って笑ってくれた。
穴があったら入りたい。でも入る穴なんか無い。
世が世なら桜の木の下辺りで切腹したい気分になった。
遠い目になった私は、口を噤んで石になる事に決めた。
何か余計な事を言ったりやったりして、これ以上彼の前で醜態を晒したくない。
動き出した電車の揺れに今度こそ気を付けて、改めてドアに背を押し付け、足を踏ん張った時だ。
彼の手が不意に動いて、私の手を掴んだ。
何ですと!?
握られた手が熱い。めいっぱい手汗が出そう。
その手が導かれ、ぽん、と置かれたのは、彼の制服の胸の上。
え、何で?
「また揺れたら危ねぇから、ここに掴まっとけ。イヤじゃなければ」
「……」
イヤじゃないです!
心の中では元気よく答えて、私はその学ランをそっと握り締めた。
どうしよう。近過ぎて顔が上げられない。
彼の声を初めて聞いた。
言葉遣いは乱暴だけど、低くて甘くて、優しい声だ。
そして彼は、その声の通り本当に優しい。
私の盾になってくれている。
偶に電車で一緒になる友達が、「あの人カッコいい」とこっそり指差して教えてくれたのが、彼に気付いた最初。
その時一瞬目が合って、そしたらすぐに逸らされたけど、だから却って何だか気になってしまった。
彼は特別のっぽだから、そのつもりで探せばすぐに見付かる。
毎朝同じ時間の電車に乗ってる事に気付いたから、私も乗るようにしたんだ。
どんなに混んでたって、揉みくちゃにされたって!
でも声を掛ける勇気の無い私は、見てるだけで終わるんだろうと思ってた。
いいじゃない。見てるだけならタダだもの。
好かれもしない代わりに、嫌われもしない。
でもこれは、千載一遇のチャンスなんじゃないだろうか。
声を掛けなければ、嫌われなくて済む代わりに彼の記憶にも残らない。
この機会を逃したら、私はきっとまたタダだから見てるだけの人になる。
よし、声を掛けてみよう。
まずはお礼を言うんだ。庇ってくれてるんだもの。
丁度向こう側のドアが閉じる所で、混雑は変わらないけど人の流れは止まった。
私は意を決して顔を上げる。
「「あの!」」
「「……」」
上げた声が盛大にかぶったよ……。お互い黙り込んで落ちる沈黙。
やがて彼が、ぷはッ、と息を吐いて笑い出した。
あ、笑うと結構可愛いんだ、なんて感想は置いておいて。
お礼だお礼。
「すいません、庇ってもらって。無理しないでくださああああ」
お礼の言葉尻が間抜けに引っ繰り返ったのは。
ガタン、と動き出した電車が、揺れたからだ。
ですよねー、ドアが閉まったらそりゃ発車しますよねー。
情けなく傾いだ身体が、肩を掴まれて支えられた。彼だ。
同時によろけた足が、ふみッ、と何かを踏んだ。
ちょっとこれ彼の足じゃないの? 案の定、
「痛ッッ」
「ひいい、すいませんすいませんすいません…!」
「……や。いいよ、いいからそんな謝んな」
庇ってもらった恩を見事に仇で返した私に、彼はそう言って笑ってくれた。
穴があったら入りたい。でも入る穴なんか無い。
世が世なら桜の木の下辺りで切腹したい気分になった。
遠い目になった私は、口を噤んで石になる事に決めた。
何か余計な事を言ったりやったりして、これ以上彼の前で醜態を晒したくない。
動き出した電車の揺れに今度こそ気を付けて、改めてドアに背を押し付け、足を踏ん張った時だ。
彼の手が不意に動いて、私の手を掴んだ。
何ですと!?
握られた手が熱い。めいっぱい手汗が出そう。
その手が導かれ、ぽん、と置かれたのは、彼の制服の胸の上。
え、何で?
「また揺れたら危ねぇから、ここに掴まっとけ。イヤじゃなければ」
「……」
イヤじゃないです!
心の中では元気よく答えて、私はその学ランをそっと握り締めた。

