馬を走らせ、邸に戻るまでの間、和春に抱えられた彼女は死人のようだった。

「もしかしたら物の怪の類いかも知れないな。あんなところに倒れている者を乗せているなど、つくづく自分は馬鹿だと思うよ。それでも……」

 そんなことを独りごちながら邸にたどり着く。すでに日は暮れかけていた。

「お帰りなさいませ」
「すまないがこの者の介抱を頼む。まだ息はあるようだ」
「どなたなのですか」
「分からぬ。詳細は彼女の目が覚めてからにしよう」
「はあ……」

 少々不審がりながら受け入れる女房たちに女を預け、自分は一旦自室に着替えに向かう。

「和春様!」
「何だ、紫。帰って来てたのか」
「はい、じゃなくて!何してるんですか!!」

 帰宅早々に紫の説教が始まるのかとうんざりしながら紫を見やる。

「素性の知れない女人を連れ込むなど、お父上が知ったら大変なことになりますよ」
「じゃあ放っておけと言うのか。まだ息があるんだぞ」
「それは……」

 言葉に詰まった紫を少しばかり気の毒だと思いながら、着替えを済ませ預けた部屋へと向かう。渋々ながら紫も気になるのだろう。和春の後を付いていく。

「入るぞ」

 女房達の手際は相変わらず良く、すでに床に寝かされている状態だった。

「いきなり連れていらっしゃるから驚きましたよ。でも、お召し物や髪の毛は手入れが行き届いていてどこかのお屋敷のご息女様なのではないでしょうか」
「確かにな……こればかりは直接聞かないと分からないが。ご苦労だった、下がって休むと良い。紫も」
「はい」

 傍に腰を下ろし座る和春を見て、紫も静かに座る。

「下がって良いと言ったのに」
「和春様「分かっている」

 紫が何を言いたいのか和春には分かっていた。これまで何度も何度も言われていたことだ。
 だがそれは今目の前に横たわる彼女には何の関係も無い。そう、和春は思いたかった。

「分かっているなら尚更、慎重に行動してください。……和春様もお早めにお休みください。では」

 紫が静かに部屋を出ていった後に残されたのは沈黙だった。目の前の女は変わらず目を覚ます気配はない。

「……お前は誰なんだ。教えてくれ」

 艷やかにのばされた髪にそっと触れる。
 突如現れた女は、和春の心を掴んだまま離さなかった。自分でも驚くほど惹かれていることに和春は気づかず、じっと女を見つめる。

「声が、聞きたい」

 和春はそのまま月明かりが照らす中、久方ぶりに笛を手に取り丁寧に音を奏で始めた。その音色はどこか物寂しく夜空に響いた。