さくらのこえ


「そんな、お止めくださいませ!人を呼びます!」
「構わない。そなたが来なければ私たちがどこに行くのか知る者はいなくなるだけのことだ」
「ああそんな……」

 意外にも冷静な頭でいることに驚きながら、無駄のない動きで春姫を抱きかかえる。思わず彼にしがみついてしまった春姫は数年ぶりに間近で見る懐かしい顔に思わず逸らしてしまう。

「どうやら嫌われてしまったようだ」

 春宮は残念であるかのような声音で言葉を零すが、その表情はひどく楽しそうであった。
 さすがに物音が大きかったのだろう。何事かと他の女房たちが起き出す気配がした。

「行くぞ。掴まっていなさい」
「お待ちください……!」
「三日だけだ。三日だけ私に時間を欲しい」

 急に真剣な表情を浮かべ、春姫と身動きできない女房を見つめる。三日。二人はその日数が何を語っているかが分からない無知でもなかった。恐ろしくなった春姫は思わずこの状況を作り出した元凶の春宮の袖を強く握りしめる。

「安心してくれ。手荒な真似はしないから」

 そう言い放つとさっと踵を返し、従者を呼びつけあっという間に車を持ってこさせた春宮はそこに乗り込む。

「藤子様!!」

 走り出せと合図を出そうと手をあげた春宮の耳に彼女の名を呼ぶ女房が駆けてくる。その名で呼ぶ者はこの邸に一人しかいない。

「紅葉」
「と、春宮様っ……!?」
「失いたくないのならば乗りなさい」

 春姫を抱きかかえ、優美に座る春宮は、有無を言わせないほど皇族としての威厳に溢れていた。それでも、意を決して、主人を手放すまいと車に乗り込む。

「出せ」

 暗闇でも分かるその気品に、紅葉は小さく息を吐く。どうしてこんなことになってしまったのか。全ては自分の警戒心の薄さから来たものだと今更ながらに反省してしまう。
 目の前の相手に、自分でさえこんなに畏怖を感じているのだから、一番側にいる主人はどれ程恐怖に飲まれているだろう。

「今の私を皆が見たら、驚くだろうな」

 ぽつり、と誰にともなく呟かれた言葉に、思わず紅葉は心が揺れる。彼は別に、春姫を悲しませたい訳ではないのだ。きっと、この逢瀬が最後であると……知っているのだ。

「春宮様、どうして……このような……」
「居場所を知ってしまったからには会わずにはいられなかったのだ。会って、確かめたかった。私が愛した人は、生きているのだと」
「そんな、そんなのは……」
「言われなくとも分かっているよ。紅葉が私に隠したのも、護りたいからだと」

 ガラガラと、夜更けに車が走る音だけが響く。邸の者たちには後々のことを託して紅葉はその後を追った。きっと今頃、和春の元へと連絡が走っているだろう。

「何を言われても構わない。そなたに私の思いを知ってほしいのだ」
「春宮様……」

 もうそれ以上は何も紡げなかった。後は、春宮と春姫の間で解決するしかなかったからだ。