「和春には感謝しなくてはな」
その言葉に春姫は頷いた。中将の心は今妹を前にどこにも反対する意思は感じられず、むしろ早々に婚姻を結んでほしいほどだと思っていた。
二人は再会を喜び、これまでのことを話しながら自分たちの絆を再確認した。会話の中で中将は、妹を思うもう一人の人物について聞くことにした。
「藤子は、紅葉に会いたいか」
中将の言葉に春姫の瞳が揺れる。その質問は和春が中将に会いたいかと聞いた時と同様、すぐには返事を出せないものだった。
「彼女は紅子から離れて、春宮の女房として過ごしているんだ。お前が望むなら、紅葉を連れ戻そうと思うのだが……。どうしたい?」
あの日、泣きながら自分の幸せを願ってくれた紅葉。紅葉だけはずっと傍に居てくれるのだと、そう思っていた時の出来事だった。
『紅葉は幸せに暮らしていますか』
「今じゃ誰よりも優れた女房だって評判だよ。お前のことを今でも案じている」
紅葉が自分の幸せを願うように、春姫もまた、紅葉の幸せを願っていた。自分がかつて望んだ場所へ、紅葉が行き、頑張っているのならば春姫は強いて戻らせようとは思わなかった。
春姫の胸の内に秘めていた想いを知っているのは紅葉だけだ。離れてしまった今、春姫の中にはあの時の想いよりも遥かに大きな愛が芽吹いていることを紅葉は知らない。もちろんそのことを春姫自身が気づいてはいなかった。ただ紅葉の幸せだけを思い、そこで幸せならば自分の存在を知られないほうが良いのだと自分の中へ落とし込む。
『私のことを知ったら、紅葉はきっと悲しむわ。だから誰にも言わないで』
どこまでも相手を第一に考える妹を前に、もう少し自分の希望を言ってもいいのだと伝えてやりたかったが、きっとその役目は自分ではないと中将は言葉を飲み込み、分かったとただ一言告げた。
「さて、夜も大分更けてしまったようだ。余り独り占めしては嫉妬されかねないからな。名残惜しいが今日はここで帰るとするよ」
『また、会えますか』
「拒否されても会いに行くよ。今度は手放したりしない」
中将の強い言葉に春姫は安堵の笑みを浮かべる。兄が去る車の音が聞こえなくなるまで春姫は静かに外に咲く桜を見つめていた。
自分も休もうと支度をしていると、近くから懐かしい香りが漂ってきた。兄と共に帰ったと思っていた彼が傍に居るのだ。暗い中で手探りで彼を探す。伸ばした手を引き寄せられ、途端に春姫はあの暖かなぬくもりの中に居た。

