それからの日々は案外変わらないもので、春姫は穏やかな生活を過ごしていた。
 しかし、春宮殿では春の陽気に似合わない冷たい空気が漂っていた。その理由として紅子と紅葉の対立があった。また、春宮が紅葉を頻繁に呼ぶことへの紅子の怒りもあった。そしてとうとう春宮は紅子の元へ行きこう告げたのだ。

「紅葉を私の女房として仕えさせたいと思っているのですが、こちらにいただくことは可能でしょうか」
「何故、紅葉なのでしょう」
「彼女は私の古い友人なのです。相談事もしやすく、側に置いて私の世話をしてほしいと思いました」

 その言葉に裏はなさそうだと紅子は思う。むしろ、この険悪な空気を消し去ることができることへの解放感の方が強かった。

「……分かりました。至らぬ点があるかと思いますが紅葉をよろしくお願いします」
「ありがとうございます。貴女の心遣いにも感謝します」

 不安と苛立ちが混じりながらも、紅子は変わらぬ美しい笑みを浮かべて春宮と紅葉を見送った。残されたのは女房たちの安堵の息と紅子の募る焦燥感だった。

 人知れず紅子は唇を噛む。春宮がどんなに自分を丁重に扱っても満足することはなかった。その想いの先を知ってしまってから、もし彼女が見つかったら見向きもされなくなってしまうのではないか、そう考えてしまう。きっと紅葉から彼女の話がされているはずで、春宮は可能性が有る限り探し出そうとするに違いないと紅子は手の平に力が入る。

「今日は何だか疲れたわ。私は休むから皆も好きに過ごしなさい」

 そう告げて一人奥の部屋へ向かう。
 紅子にとって春宮が唯一の頼れる存在なのだ。傍には父も母も、兄たちもいない。だからこそ春宮が自分を見ないことが怖かった。彼の優しさで自分はここに存在している気さえしてくる。

「最初から何も持ってなんかいなかったのかも」

 小さく呟くと紅子の瞳からとめどなく涙が零れてゆく。誰よりも優れていると自負していたその心は今にも折れてしまいそうなほど脆く、揺らいでいた。



 紅子と別れ、春宮は紅葉に藤子を捜したいことの意思を告げていた。

「藤子様をお捜しに?」
「ああ。お前に会ってからずっと蓋をしていた想いが抑えられなくなってしまったようで……どうしても会いたいと思ってしまうんだ。生きているなら尚更」
「お気持ちは分かりますが、手がかりが一切ないので困難な道のりになるかと思いますよ。考えたくはありませんが、もしかしたら本当に……。それでもお捜しになられますか」
「たった一度だけでもいいんだ。彼女の存在をもう一度だけでも……」

 紅葉は紅子の焦りを感じ取っていたため迷いが生じる。いくら春宮が望もうとも紅子の怒りの矛先が再び藤子へと向かってしまうことを紅葉は恐れていた。
 だが、春宮の想いを無下にもできず視線を彷徨わせる。藤子が春宮へ密かに想いを寄せていたことも紅葉は知っていた。けれどもそれは既に叶わないことなのだ。残酷な運命を突きつけられているのに二人を再会させることなど紅葉には出来なかった。

「春宮様の思いは伝わりました。……私も力になれるよう出来る限りの協力をいたします」

 紅葉にとって今は、そう言葉にするのが精一杯だった。