クラシック




「…奏成くん。どこ行くの?」



人ん家来て“どこ行くの”もないだろうよ、と思うけれど。
…ああ、そうか。
美音、俺の部屋へ入ったことないんだっけ。



「俺の部屋」



美音の愛らしい口の形がうわー、と開いて美音全体が固まった。
何?今さら。
そんな恥ずかしがることか?
マフラー外して見えてる首元まで真っ赤っかなんだけど。



「…あの。すみません、そういう…覚悟までは私…」

「ぶ。勝負パンツじゃねえんだな?美音」



涙目逸らすなって。
煽られるだろ、俺の微かなS気質が。
トントンと階段を下りると美音と同じ目の高さまで、あるいはそれ以上に覗き込む角度まで顔を近づけた。



「そこまでやんねーよ、今日は」

「…“今日は”?」

「いずれしたいに決まってんじゃんよ。
俺、美音のこと好きだし」



でも今日は、ちょっと趣向が違うんだ。

そう重ねて告げると美音の紅に染め上った小さな顔は、歪な音をたてそうな不自然さで俺の真正面へ位置する。



「…何を、どんどん、やってくの?今日」

「美音にとっては恥ずかしいこと。
俺にとってはやってみたいこと」



クイ、と手を引き1段目へと促す。
美音は俺の即答を反芻中なのか、瞳がちらちらと泳いでいた。
そんなね、俺の顔見つめたって何も出ねーよ?



我慢するんだからさ、俺。
これからコンクールまでの20日間近く、きっとピアノに真剣な眼差しで向かう美音の横顔しか見られなくなっちゃうんじゃね?
俺、欲張りだから。
それだけじゃ足りなくなって、我儘暴発させるかもしれないから。



だからさ。
蓄えさせて、今日のうちに。
確かな美音の感触。
お前の心地好さ全部。
美音は俺のこと好きなんだ、って。
間違いなく感じられる幾つもの瞬間をくれ。
実体に触れられなくて悶々とする日はそれを懐から取り出してニヤけて…。



…ちょっと、思考がヤバい人みたいだ。
まあ、好きな者同士 似てくんだよな。



「じゃあ、行ってみよー」

「…あ。その“じゃあ”の使い方は正しい…」



すっとぼけてる美音の呟きを喉の奥でク、と笑った。
美音が嫌がることはしないつもりだけど。
俺も振り切れちゃわないように理性と闘おう。





カチャ、と俺の部屋のドアを開き美音を促し入れると後ろ手にまたカチャ、と閉める。
その蝶番の音すら、やけに大きく響いて聞こえた。

…2人きり、って意識しすぎるとマズい。



「…じゃあ、1個目」

「…ん?」

「美音、これ解いていい?」



これ、と指差した先は美音の頭。
そう、ゆるゆるにまとめてアップされた髪。
ピンが何本も刺さってるかとかは俺、よく分からないけど。
パッと見、編み込んでゴムで留めてあるだけのような。



「…え、何か可笑しい?これ」

「…じゃなくて」



可笑しい?と訊きながらももう俺の言に従ってゴムに手をかけてくれている美音の素直さったら。
大きな瞳はきょとんと俺を見据えているけれど、不快さや不安さはそこに無い。



何が始まるのか分かんないくせに。
俺のこと信じて安心しきっちゃってんのな、美音。
そういうとこがたまらなく可愛い。
解けた髪は編み込んであったせいかふわん、といつも以上に柔らかく揺れていた。