クラシック







「で?」

「…凄いね。たった一言にその威圧感」

「反応すべきはそこじゃねえだろ、しかもそうじゃねえだろ」



差し出したマグカップを両手で大切そうに抱え込む仕草もなかなか萌えるな、と思考が逸れる。
美音の小さな身体にゆったり着用中のセーター。
その袖口からお約束みたく細い指先が覗いてんじゃん。
…何だ、この小悪魔テク。



俺を見上げながらふんわり微笑まれ、挙げ句 ありがとう、と小さな会釈でもされた日には。
…怖ぇな。
俺、ムカついてたはずなのに。
どこに置いてきた?あの怒気。
すっかり骨抜きだ、俺。



「…あの、ですね」

「おう」

「…相槌にも迫力が」

「いいから、話進めろよ!」



お前、完全にナメてんだろ、俺のこと。
威圧感だの迫力だの口にしながら、その実 怖がっちゃいねえだろ。
何より証拠に、さっきからずっと笑ってんじゃん。



「…今回は。
全部の力で頑張ろうと思うの」

「や、極論過ぎてぼんやりとしか伝わってこねえよ!
もちっと枝葉つけろ、バカ!」



ごめんなさい、と笑いを含んだ涼やかな声が応える。
俺は目を眇めて美音を見つめるけれど、臆した様子もなくまた あのですね、と続けられた。



「来月の、コンクール。
今回は…優勝を、目指します」



一言一言を噛みしめるように。
いや、自分へ言い聞かせるように?
違うか、俺へちゃんと伝わるように。
話すテンポこそいつもと変わらぬゆったり加減だけれど、そこにほんの少しの力強さが加わった。
瞳に宿る色をじっと窺えば、プレッシャーに震え竦むというよりも、楽しみを見つけた子どものような煌めきが見てとれる。



「…なんで?」

「さっきから“なんで”が多い、奏成くん」

「言わせてんのは美音だろ」



聴きたいんだ。
美音の口から、美音の言葉で。
俺が思うのと全く同じ言葉じゃなくたっていい。
恋愛の色気なんて薄くたっていいよ。
美音に起こった変化の理由。
俺の存在はそこに影響してる?



「…今までも、ね。
本番で全力を尽くしてなかった訳じゃない。
…でも、分からなくなったの」



ずっと笑顔を絶やさずにいた美音だったけど。
一旦途切れた言葉の合間に見えた表情は苦々しかった。
似合わねえな。
俺はローテーブルの上へマグカップを置くと、両の膝にそれぞれ肘をつき前のめりの上体で美音を覗き込む。
そうして、ソファーに浅く座ったままの美音との距離を詰めた。



「結局、練習不足だったんだ、って。
それを言い訳にしてきたの。
…実力不足、って思わないところが傲慢でしょう?」



そんなん思うはずもねえんだけどさ。
見据えられた目の力があまりに強くて、俺は結局どうとも応える機会を失した。
お前、いつだって遠慮しいで慎ましく生きてんじゃんか。
傲慢、ってのは俺みたいなの言うんだぞ。



「…この先ピアノを続けていけるのか、きちんと考えるのも。
逃げてたの、全部。
どうせ私なんか、って。
…卑屈でしょう?」



何の確認なんだ?美音。
お前のマイナス自己評価に俺がうん、なんて頷くはずねえだろ。
どんだけ曇ったレンズで自分のこと見てんだよ。
俺は今度こそかぶりを振って否定し、自身の膝の上で未だマグカップを握りしめたままの美音の手を取った。
ゆるりとカップを取り去るとローテーブルの上へ。
小さな両の掌は、俺の手の中へ。



「…なんか、っつったから。
ベロチューな、今日こそ」

「…真剣な話 してるのに」

「偶然だな、俺も真剣」



そりゃあ、分かってる。
話の途中だ、ってことくらい。
それでも突き動かされるように襲い来る衝動は抑えが利かなくて。
それはきっとさっきから俺を捕えて離さない美音の大きな瞳のせいだと思う。
…ズルイな、俺。
美音のせいにしてんじゃん。



「…え…」



まさか本当にされるとは思ってなかったんだろ。
俺は超至近距離で瞠目する美音の下唇を食んで、僅かに開いた隙間から腔内へ忍び込んだ。