クラシック






「…いやー、もう…思い出せねえ」



目の前に掲げてみてはパタッと身体の側面に落とす。
ソファーに沈み込んで右手に持ったスマホを弄んでいた。
俺が繰り返す力ない所作は訝しげに翔太から眺められている。
だってさ。
個別着信設定で変えた美音の色が光らねんだもん。



「イミフだねー、かなちゃん。
何なのさー、オレさっきから目の前でものすっごく無視され続けてそろそろ心折れそうなんだけど!」

「……んー。
美音がいねえ時って、俺。何してたんだろなあ」



ひっでー!と叫ぶ翔太の声。
何がよ?とボンヤリ問えばオレでしょ、と。
ため息混じりに落胆を隠さない翔太の言葉が即座に返ってくる。



「おヒマなかなちゃんと常々遊んで差し上げてたのはこの翔太くんでしょうが!
オレに断りもなく記憶の改竄しないで!」

「……勿体ないことしてたなあ」

「マジムカつくな!
一部の女子よか友情に希薄だね!かなちゃん!」



てかもう、本当にヒマなんだな、翔太。
お手伝いさんが準備した昨日の残り物プラスお昼ご飯を一人モシャモシャと頬ばって小動物みたく変身している。
お前、アレか。
リスか、ハムスターか。冬眠でもすんのか。



「イブに逢えないからってイライラしちゃってー。
欲求不満かよ?性少年!」



別に、と切り出した反論はあまりにニヤけた翔太の顔を前にやる気を削がれた。
面白がられてんな、俺。
ム、とした表情を隠す必要もない気安さに次第に笑いすらこみ上げてくる。



「バイトなんだよ、美音。
偉いの、真面目なの、家計を支える勤労学生!」

「んなムキにならなくてもー」

「大体な、イブってeveningのことだぞ?
教会暦じゃ日没が1日の始まりだからな、クリスマスの夜って意味だよもともとな!
踊らされんな、世の風潮に!」

「ハイハイ、ご高説ありがとー」



御馳走様でした、ときちんと手を合わせ頭を下げる仕草に翔太の育ちの良さがそこはかとなく滲み出ている。
皿をシンクまで持って行くと、勝手知ったる俺の家、食後のコーヒーまで手際良く準備して俺の隣へ座った。



…ちゃんと、俺の分まで用意してくれるところがまた。
翔太だな。



「…サンキュ」

「退屈しねーなー、かなちゃんの変貌ぶり」



目を眇めながら翔太の次の言葉を待つ。
薄々感じてはいるけれど、美音と過ごしているここ数日、俺は自分に血が通ってるんだと思える。



「…翔太の方が。
見てたんだろ?美音のこと」

「…かなちゃん?」

「…美音もさ、変わってきてると思うか?」

「…どういう意味?」



美音が作ってくれた俺の曲。
俺への曲。
早くCDが出来上がんねえかな、と心待ちにしている。
ピアノが好きだというただその気持ちだけで、美音がこの先の人生全てを順風満帆に過ごせるとは思わないけど。



それでも。
何かを諦めてしまってる美音が、未来へ期待を寄せてくれないかと。
その変化に俺が幾ばくかでも絡んでないかと。
願わずにはいられなかった。



「…美音、アイツ。
たぶん、本気出してないんだ」

「…詳しく教えてよ」



マグカップは翔太の口元へ定期的に運ばれコーヒーのかぐわしい香りが都度ふわりと広がる。
来月のコンクール。
その結果が今までと違ったものになって欲しいと願うのは俺のエゴなんだろうか。



「明るくない未来を勝手に決めつけて、遠慮してどっかピアノを諦めてるんだ、美音。
弾くこと以外の諸々なんか気にせずに優勝 目指してほしいのに。
アイツにはそれぐらいの実力があるんだと思うし」

「…うん」

「もしも金目のことがその原因だとしたら俺に出来ることは何でもしたい。
…とかって。思っちゃう俺は、上から目線?
金持ちボンボンの自己満足?」



そんなことないでしょ、と翔太は言って。
ご丁寧にローテ―ブルの上へマグカップを置くと、右肩で俺を小突いてきた。
柔らかなネコッ毛が笑いに揺れる。



「…昨日さ。
家で…兄ちゃんから聴かせてもらったんだ、オレ」



ソファーの上へ膝を抱えてちんまりと座り直した翔太が指す言葉は、美音の音源のことなんだろう。
あーちゃん、早速編集してくれてたんだな。



「…奏への気持ち全部入ってんじゃん、あれ。
羨ましいと思ったよ」