クラシック

ブースへと続くドアを開け、美音の背中を軽く押した。
不安そうに揺れる瞳とバッチリ目が合って、さらなる説明を求められていることを知る。
訳分かんないままじゃ、いつもみたくのびのび楽しんで弾いたりできないか。
漏れる苦笑のまま、俺は言葉を紡ぎ足す。



「あーちゃんにCD作って貰うんだ。
俺専用、美音のCD。
んで、暇さえあれば聴いとく」

「…CD…?」

「そ。
あ、心配すんな、美音の分も作って貰うし。
有名な曲にしてくれ、俺 クラシック疎いから。
美音が作った曲とかねえの?」



言いながら美音の小さな身体を室内へと押し込む。
ガラス越しに、ヘッドホンの準備をしているあーちゃんが整った顔をくしゃくしゃにして失礼なほど笑っているのが見えた。
…そうね、俺もう。
体格差に物言わせて言うこと聞かせてるガキ大将みたいだよな。



「…奏成くん…。
これが、プレゼント…とか」

「おうよ。渾身の力で弾けよ。
1時間分な、休憩したい時は手挙げて、あっち側に俺とあーちゃんが居るから」

「…ねえ。…ありがとう」



あっち側、と指した右手は美音にクイ、と引かれた。
オイオイ、そんなに見上げられたら。
あーちゃんの前だろうと俺、死角探しそうになるんだけど。



「こんな…私が嬉しいばっかりだわ」

「何 言ってんだ。
俺の我儘勝手につき合わせてんだろ」



お金、って。
言いかけた美音の唇を右手の指で押さえた。
気にすんな、って。
ちゃんと笑えてるか?俺。



慎ましやかな美音の気立ては分かってるんだけど。
俺が練った俺だけのためみたいなプランに美音は振り回されてんのに、いろいろ気にして欲しくはなかった。
金持ちボンボンの気まぐれだ、と。
心の中で苦笑いされても構わないんだ。
…そんなの思わないだろうと、決めつけてるけどね。



「…何でも、良い…のね?」

「ん。愛が籠められてるならな」

「1時間、通しでも良い?」



ああ、と応えるより前に美音はスカートの裾をふわりと広げ椅子に座ると高さを調整し始める。
音もなく緩やかに閉まるドアの隙間がゼロになるまで俺は美音から目が離せなかった。



「…言ってなかったのか?今日のこと」



あーちゃんの隣に腰を下ろすや、静かに問われた。
段取り悪くて怒ってんのかと思ったら…その表情から察するに、違うね。



「…事前に言ってたら。
遠慮してついて来ないだろうと思ってさ」



そういうヤツなんだ、と。
ざっくりまとめた俺の美音に対する形容を、だけどあーちゃんは訳知り顔でふふん、と頷く。



「…翔太も、んなこと言ってたな」

「…聞いたの?」



何を、どこまで聞かされたのか。
あーちゃんと俺の関係は、翔太のそれと同じように私情の挟み方で脆く崩れ去るものじゃないと思ってるけど。
一瞬、ものすごく不安になって。
ああ俺は、ほぼ周囲に無関心であったけれど大切に想う人から背を向けられるのはとても怖いんだ、と。
大切に想ってくれる人達に囲まれて、それが当然のようにあぐらかいてきたんだな、と。
そんな自分をひどく幼く感じた。



与えられてきた温かさにろくに感謝もせず。
きっと美音は大違いだ。



「…あーちゃん、俺…。
ちゃんと、大切にする。美音のこと。
…翔太の分まで」

「ぶ。そういうのはあの子に向かって言わねえ?普通」



あの子、とガラス越しに指された美音は、天井を仰ぎ見、きっと何を弾こうかと思案しているところ。
ほら、もうすぐ。
あの細い指が鍵盤の上を踊り跳ねていくんだ。



「翔太と奏と、俺は別に天秤にかけたりしねえよ。
どっちも俺らのこと応援してくれてるファンだし?
…でもまあ」



あの子のあの笑顔は、翔太には向かねえだろ。

そう言いながらあーちゃんの口の端に浮かんだ笑みの意味が分からずに、俺はあーちゃんの顔をじっと見つめてしまう。



「…奏。イケメンの熱烈視線は怖えよ。
俺をどうしたいんだ」

「…や。意味分かんなくて」

「好き好きビームが出てんなあ、って」

「俺から?!」

「ぶ、キモ。あの子からだよ」



さて。

そう言ってあーちゃんはその表情を一気に職人の凛とした横顔に変える。
ジャックに差したヘッドホンを手渡されながら、美音、1時間ぶっ通すつもりだよ、と慌てて伝えた。
ちょっとだけ片眉を上げたあーちゃんは俺を見てへえ、と呟き。
すぐにその真剣な眼差しを美音へ据えた。