クラシック

「…ああ。
昼間、陽人に何 耳打ちしてたんだ、って問いつめようかと」

《問いつめる、って。刑事さんみたい》



カツ丼は出ねえぞ、と応えると小さく笑う美音の声が耳に心地好い。
リアルの方がそりゃ比べもんにならねえけど。
いちいちゾクゾクしてる俺はどんだけ煩悩抱えてんだ。



《…相澤くんへ、お礼言ってね、って。相澤くんの気持ちに》



お礼?気持ち?
確かにありがとう、とは言われたけれど気持ちに、という箇所がピンとこない。
分っかんね、と零れた言葉を美音は丁寧に拾って あのね、と続ける。



《そういう無自覚なところが良いな、と思う》

「…ますます分かんねえよ。
何だ、この会話しながらの置いてきぼり感」

《相澤くんの感受性の豊かさは、本物だと思った。
陽人くんが伝えたい情景を見つけてくれるんじゃないか、って》



美音の声音が俺達を静かに包む夜に寄り添う。
俺のこと言われてんだと認識するけれど、あまりに穏やかで綺麗すぎてどこか他人ごとのようだ。
んー、とくぐもったような反応しか返せない自分が歯がゆい。



《でもね、きっと。
相澤くんが感じ取ろうとしてくれたからなのよ。
だからあんな風に陽人くんの想いは伝わって。
自信がついた陽人くんはもっと彩り豊かな世界に行けると思うわ》



そんなつもりは、と言いかける。
そんな聖人みたいな言い方されても困る。
ますますもって俺じゃねえ、それ。



《相澤くんが、陽人くんへ変化への一歩を踏み出させてくれたのよ?
そういうの、周りから与えてもらえる機会って滅多に無いと思う》

「…気前良いな、俺」

《ありがとう、本当に。気持ちも、時間も、割いてくれて》



…あああもう、何だこれ!何で電話なんだ、これ!
ビリビリきた、マジすっげー衝撃、美音の一言一句。
ヤバい、スマホ握り潰してしまうかも。
この、蕩けそうな感じ。
照れて熱くて変な脇汗かいてる感じ。
何かいろいろ、誤魔化したくなる。



「…じゃあ、美音もして?お礼」

《………。
また“じゃあ”の使い方が意味不明…》

「明日は名前呼び、な?
奏ちゃんでも奏成くんでも奏成でも奏でもどうぞご自由に」



後になるほど難易度が、と嘆く美音の声に被せるようにもうその先は紡がせない。
さっきの言葉の意味も分かったぞ。



「良いな、って思ったんだろ?俺のこと。
惚れ直した?好きだよな?昨日よかもっと」

《…うー…》



返事は?と追い討ちかけそうになって気づいた。
美音、お母さんに聞き耳立てられてるんだった。
そりゃ自己陶酔の大馬鹿野郎じゃあるまいし、ケータイ片手に好きだなんて言えねえか。



「うん、かはい、で良しとしてやる。どっち?」

《それはもう…はい、です…》

「よーし!じゃあ明日は名前呼び」

《えっ?!そっちの“じゃあ”だったの?!》



異議がありそうな美音の声に、明日は8時だぞ、と念押しして電話を切る。
緩む口元を頬を認めたくなくて途端にベッドの上へ突っ伏した。
それでも。
身体のどこかがくすぐったくて、クルリと仰向けになり天井を見上げる。
片腕を額へ翳し暗闇を作れば、目の裏に広がる不可思議な模様はチラチラと跳ね踊る音符のようにも見えた。


…マジで姉貴に覗かれてねーよな?







「…相澤くん…?」

「………」

「…怒ってる…?」

「…絶賛度胆抜かれ中」



8時きっかりに美音ん家のドアベルを鳴らした。
当たり前のように美音が出てくると思ってたんだ。
何の気構えもしてなかった。
勿論、ネコだってここんとこ放置プレイだ。



『…あなたが、相澤くん?』



鉄製のドアがキ、と歪な音を立てて開かれると、そこに立っていたのは美音そっくりのお母さんでらっしゃった。
瞠目して硬直してしまった高2男子を無理もないと可哀想がって欲しい。
こんな不意打ちって、アリ?



『わ!お母さん!何してるの?!』

『ピンポン鳴ってんのにあんたが出ないから』

『ドライヤーの音で分からなかったんだもん!
教えてくれればよかったのに!』

『だって見てみたかったんだもん』

『相澤くんはパンダの赤ちゃんじゃないの!』




完全に失ってしまったご挨拶のタイミングをもう一度掴むにはどこでどう切り出したらいいんだ。
俺ってこういうのはソツなく出来る子なんだけどな。



『あの…相澤、奏成です。ご挨拶が遅くなりましたけど』

『あ、ねえこのプレゼント!
ありがとうね、もう美音が喜んで嬉しがってどこに飾ろうって大騒ぎして大変で!
一応女の子だったのねって安心しちゃった』

『おかーさんっ!』