クラシック

美音の家への帰り道。
真冬の夕闇は駆け足でやって来て、あっという間に辺りを薄暗く覆っていく。
こんな場所で、落ち着いて話なんてできるか。
泣きやまない美音の身体を抱え込むようにして動かし、中央公園のベンチへ座らせた。



「…期待しても、叶わないことの方が多い。
夢見てしまったら、現実を見た時の落胆が大きい。
…幸せは、長くは続かない。
私に、たくさんの幸せは、来ない」

「…何 言って…」



そうやって、生きてきたの。
神様に多くを望まない、だからほどほどに、どん底じゃない程度の、普通な幸せを。
何かを諦めたように遠くを見つめポツポツと零れる美音の言葉が寒くて冷たくて悲しい。



「そんなの…普通、って何だよ?
俺とのずうっとはその中に入ってねえの?」

「…浮かれてたの、私。
似合わない、すぐ別れるよ、気まぐれだ、って。
…今日、何度も耳にした」

「言いたいヤツには言わせとけよ」

「…ずうっと。幸せが続くのかも。
ピアノも、ずうっと…。
弾いていられるのかも、って」



錯覚しそうになった。

言い終えた途端、瞬きと共に涙は溢れてくる。
俺から目を逸らし俯こうとした美音の両肩を、俺は少し強く握りしめてしまった。
…こんなのって、ない。
いつもより、多くを語ってくれているのに。
美音の言葉は寂しくて仕方ない。
…お前、本当は。
笑窪の後ろにこんな気持ちを隠してたの?



「…美音。
俺のこと、まだちゃんと好きか?」



間髪入れず縦に振られた首に、俺は正直ホッとした。
意外と、いや美音に関しては小心だよ、俺。
胸をなで下ろした瞬間に でも、と紡がれて。
また身体が強張る。



「…妬んだ」

「…は…え?俺のことも?」



俺に妬まれる要素があったか?
今日の一連の流れの中で。
別にピアノは弾けねえし。
好き、という表明と相対する位置にあるようなネガティブな感情を抱かれた意味が分からない。
でもこのままにしておけない。



「…美音。
俺、美音の気持ち分かりたいから。
基本、面倒くさがりなんだけど今日は納得するまで帰さねえから。
なんで俺のこと妬ましく思った?」



俺の声は普段から低くて。
よく通りはするけれど抑揚がないから不機嫌そうに聞こえるらしい。
美音の耳にはそう届かないようにと願いながら、出来るだけ穏やかに音を出す。



「…ごめんなさい…相澤くん、も。
陽人くんみたく、お金持ちだし…。
あんな高価なピアノが、お家にあって。
何でも出来て何でも持ってて。
将来のこととか…簡単に、口にしちゃうし…」



ごめんなさい、と。
また美音は詫びを繰り返す。
私、ぐちゃぐちゃだわ、と。
言いながらふわふわの手袋で顔を覆ってしまう。
俺は片足を上げると美音の背とベンチの背もたれに割り入れ、膝の間で美音の華奢な肩をギュウギュウに抱いた。



「…俺も。ごめん、美音」

「…相澤くん…?」

「空気読めてない感じだけど。
…俺、すっげえ嬉しいわ」