クラシック

それでも今日はすぐに追いつけて、俺は美音の左手からバッグを奪うと手袋ごと握りしめた。
ピクリと反応した美音は一瞬動きを止めたものの、結局 俺のされるがままになって歩を進める。



「…なあ、誰?
美音と一緒に歩いてるの」

「…相澤くん」

「今の話じゃねえよ、ピアノ弾いてる時。
それも俺?」



声には出さず美音はコクリと頷いた。
眉根が寄せられた横顔が陰っているのは寒さのせいだけじゃないんだろうな。
笑窪が欲しくて俺は無駄に饒舌になる。



「俺以外、登場させんなよ?
つっても俺も鍛えないとなあ。
美音のこと、暴風に攫われた」

「?……」

「西風の見たもの、だっけ?あの景色。
あれすげえな、お前の指10本以上あんじゃねえの、って思った」



曲の話なんかしたっけ?私。

美音は空いている片方の手で顎のあたりを触りながら記憶の糸を辿っているらしい。
俺はクルリと周囲を見渡す。
よし、人はいない。
そう思ったが早いか、美音のマフラーを首まで引き下げ唇を登場させると半開きのふっくらとしたそこを啄んだ。



「!んなっ…!なっ…?!」

「なんか、っつったろ?
ベロチューじゃなかっただけ俺ってば優しー」

「な、んか…えっ?!
なんか、ってこんな使い方も駄目だった?!
私なんか、って――」

「ああ、そういうとこ気づくのは早いんだな?美音。
つまるところキスするきっかけが欲しかっただけ、って男心にも気づけよ、どうせなら」



あーあ。
駄目だってば、そんな。
潤んだ瞳 見開いて見上げるのなんて瞬殺技だろ。
掠め取った唇はほんの少し唾液の痕が艶めかしく光っていて。
どこで身につけてきたんだ、そんなスキル。



「…っ、き、気づけないよ…」

「ああそう。
んじゃあ俺とずうっと一緒に居て鍛えてけば?
美音が気づけるようになるまで」



ずうっと、一緒に、を強調したから。
何となくやんわりと。
話の流れがあえて触れなかった部分へと引き戻されたことを感じたんだろう。
美音は大きな瞳をわずかに細めると、また眉間にシワを寄せ俯き呟いた。



「…ずうっと、なんて…」

「…なんて?」

「…難しい、と。思うわ」



俺、美音から嫌われてないと思ってる。
もっとアグレッシブに言えば好かれてると思ってる。
…なのに。



そこに永続性はあり得ないワケ?美音。
ピタリと足を止めた俺に気づきおずおずと顔を上げた美音へ向けた目には涙が溜まってたりして。



「…へこむぞ、さすがに。
泣いていいか?俺」

「…男の子は…簡単に、泣いちゃ駄目です…」

「泣くだろ、心痛えぞ、マジで。
理由言え。言わなきゃここでギャン泣きしてやる。
むしろ恥ずかしいのは美音だからな?」



泣きそうなのは、俺だ。
それなのにお前が先に泣くなんてズルいじゃんか、美音。
声も上げず、ただポロポロと。
透明な水分が美音の頬を転がり落ちていく。
指先で掬っても掬っても追いつかないそれを、セーターの袖口で吸い込んだ。
また傷にしみるぞ、って言いながら。