クラシック

あんなに、ピアノが好きなのに。
美音の未来にいつもピアノがあれば。
美音のほんわり笑顔もいつも傍らにあるってことだよな。
…そうか、そうだ。



「…ごめんね、美音ちゃん。
僕、事情もよく知らなくて…」



優しくなかった、と項垂れる陽人の姿に美音は慌てる。
…いいのに、美音。放っておいて。
一皮むけてオトナになってる途中なんだよ。



「は、陽人くん?あの…ごめんね?
そんな、そんなつもりでは…」

「…ねえ、そうだよ!美音ちゃん!
僕と結婚してうちの子になればいいんだ!
一緒にずっとピアノ弾いてこう?」



美音の髪の毛を静かにいじっていた俺の手は陽人のその言葉で止まった。
やっぱコイツ、こめかみグリグリの刑だ!



「うわっ!痛っ!暴力反対っ!」

「あ、相澤くん?!ちっちゃい子に何をっ!」

「ちっちゃくねーよ!お前とたいして変わんないだろ!騙されんな美音!
コイツは今、ドサクサ紛れにお前を軟禁しようと!」

「なんでそんな犯罪めいてるの?!
結婚すればいいじゃん、って話だよ!
そうしたら何の心配もなく…っ、痛いって!」

「俺だろ?!俺だよ!俺なの!
美音と結婚すんのは俺!」

「キモいっ!」



相澤くん、と苦笑しながら美音はゆっくりと俺の拳を手袋で包む。
フワフワの毛糸が柔らかく俺のささくれも編み込んで無かったことにしてくれそう。
陽人くん大丈夫?と。
…向けてやらんでいい、って。そんな優しい瞳。
そうして俯けた視線そのままに美音の下向きで寂しい声が冷たい空気を伝ってくる。



「……期待して、しまいそうになるから。
そんなこと言わないで?」



帰ろう?と。
美音は先に立ち歩き始めた。
俺も陽人もなんとなく気まずくなったまま。
陽人の家に着くまでもう一言も発せなかった。





立派な門扉に掲げられた「若松」の表札。
歩みを止めた陽人の隣で美音はじゃあね、と笑いかけた。
でもそれはいつものふんわりとした柔らかいものではなく、ひどく弱々しくて見ていると痛い。



「…あの、美音ちゃん。僕…」



そこまで切り出したはいいものの、陽人の言葉は先へと続かない。
悪いな、俺もアシストできなくて。
何が美音の心にこうまで翳を落としたのか、俺は道々考えながら未だ答えを出せずにいる。



「…ごめんね。
私も大人げなくて」



妬んじゃった。

言って、美音はまた笑おうとして無理をした。
自分でも表情が硬いのは薄々感じているんだろう、口元を隠すように頼ったマフラーは俺と色違いの例のもので、嫌われてはいないのかと妙なところで安堵する。



「…妬む、って…?美音ちゃん…」

「…何の心配もなく、ピアノに向かえて」



でも、と。
陽人は抵抗しようとした。
何の心配も、無いわけじゃないんだよな、陽人。
美音みたいな音は出せない、景色が浮かんでこない、って目下お悩み中なんだから。



「…弾いてる時。
頭の中で、好きな人と…一緒に歩いてる、私は」



囁くように切れ切れにそう言うと目元を紅く染め、美音はもう一度じゃあね、と言い残し今来た道を一人戻り始める。



「美音!」



陽人に目だけでじゃあな、と残すと俺は美音の背中を追い始めた。
美音の背中、とか。
見たくないと思ったはずなのに。