クラシック




失礼します、とおよそ感情の籠らない声とともに保健室の引き戸をカラカラと開ける。
途端に、元凶が来た、と保健医からイヤミな言葉が浴びせられた。
…この白衣野郎。なんつった?



「ホントだよ!相澤が諸悪の根源だよ!
このスケコマシ生徒会長!」

「…やけにレトロな響きだな。
しかも全く身に覚えが無い」



相川だけかと思っていたら。
相川のすぐ後ろの席の伊野もご同伴だ。
苗字くらいは覚えてるぞ。
しかもやけにご立腹じゃないか。



「あーもう、マジムカつくあの女達!
一人じゃ何も出来ないくせにさ!
3人寄れば何か知恵でも出し合えっての!」

「……まあまあ、しーちゃん。大したことなか…っつ、あっ!
先生っ!痛いっ…」

「ああごめん、沁みた?これ、病院行っとかない?顔だし、女の子だし、念のため」

「…そんなに酷いのか?」



誰に向けた声でもなかったけれど。
…いやまあ、相川へ、だけど。
手渡し損ねていたカバンを掠め取った伊野は俺の問いへは応えてくれず、あんたさ、と代わりにうすら寒い視線を冷たく据え置く。



「何のつもりで昨日、美音と一緒に帰ったりしたのよ?
誰かに見られてその波紋とか影響とか噂とか考えない?
イケメンモテ男の相澤クン。
リスクマネジメントがなってないんだよ!」



…ああクソ。
焦点は違うけど自分が考えていたことをまんまなぞられるとかなりムカつくもんだな。
感情を表情に直結させない自己鍛錬はできてるつもりだけど。



「…うちの病院へ連れて行く」

「答えになってないよ!相澤!」



昨日はあんなにクルリと大きく見開かれ俺だけをその目一杯に映していた相川の瞳は、未だに一度も俺を視界に入れようとしない。



…面白くない。
何故に目を逸らす?
ああいや、その点は無理もないのか。
伊野の言葉から察するに、俺がらみで言いがかりをつけられたんだろうから。
怒って、いるのか。俺に対して。



「…行くぞ」



青春だねえ、というまたイヤミな声を背に受け、待て相澤!と叫ぶ伊野の声を無視し、俺は細い相川の腕を取って歩き出した。
もう引きずってるようなもんだな、これ。



昇降口まできたところで上履きを履きかえろ、と暗に促す。
そこでやっと、目が合ってホッとした。



……ホッとした?俺。
ああでも。
イラッ、とも。した。
相川の瞳に浮かんでいるのは怯えの色。



怖がられてんのか、俺。
昨日もそうだったな、そういや。



「…あ、の……」

「何だ」

「…お金、も…保険証も、無くて…」

「要らねえよ、んなもん」



…ビクビクしてたのはそのせいか。
理由が分かれば何ということもない。



「や、あのっ!う…内野病院、って」

「イントネーションが違ぇよ。
うち、の病院な。俺の親父が院長」



ヒ、って聞こえたのは何なんだ、相川。
変な女。
いや。
変なのは、俺の方だけど。



何でここまで、構ってんだ。
責任感?罪悪感?
どれも今一つピンとこない。
それ以外の感情なんて、名前をつけるのが恐ろしかった。





革靴に履き替えた相川の腕をまた取り、俺は通い慣れた道を歩き出す。
同じ事は二度繰り返すべからず、だ。
相川のペースを考えて。
じゃないとゼーゼー言いやがるから。



「あ、あのっ!すみません!」

「だからなんで敬語なんだ、って。昨日から。
学習能力ねえな、相川」

「…っ、す…ご、ごめんなさい…」

「で、何だ」

「…腕、が…痛くて…」

「…早く言え」



瞬時に離した俺の手から相川の細い腕はスルリと抜けていく。
いや、本当に。
相川がどこかへ逃亡する訳でもあるまいし。
俺は何だってこんなに強く腕を掴んでたんだ。
ちょっと人攫いのようだと。
自分自身で思わなくもなかったのに。



「…悪い」

「いえっ…わ、私が、早く…言えば、良かった、ね」



…何だよ。
普通に喋れんじゃねーか。
ちょっとぎこちないのが気になるけど。
さっきの保健室じゃもちっと柔らかく会話してたじゃん。
今だって胸に手を当てて苦しそうだし、表情は硬いし、どんだけ怖がられてんだ、俺。





ほどなく『相澤クリニック』の看板が目に入る。
はあ、と冷たい空気に溶け込む相川の小さな声。
自動ドアのガラスを通り抜け待合スペースの椅子へ座るよう相川の背を押して促す。



…細い、というか華奢。
手に残る不可思議な温かさはしばらく見つめても消えていかなかった。