クラシック




さながらコンサートホールのようなレッスン室の重厚なドアを開け、美音は小声で失礼します、と足を踏み入れる。
まだ真新しい奥行きある空間は天井も高く包み込まれるような木の温もりを感じた。
俺も頭を下げながら 失礼します、と呟く。
中学生だと思われる男子がグランドピアノへ向かい旋律を奏でていた。



ピアノは2台並べられており、もう1台には先生らしき女性が座っている。
立ててある楽譜を目で追っていたけれど、美音に気づき微笑みを浮かべ、俺に気づき瞠目した。
…不審者じゃありませんよ?



「…相澤くん、こっち」



囁く美音の声もなかなか良い。
と変態的思考を巡らせながら俺は美音の背を追い、一列に並べられた上質な椅子の一つへ腰かけた。
美音の隣を陣取り、チラ、と横目で先客を観察する。
難しい顔をして姿勢良く座っている女性はたぶん、練習中の子の保護者なんだろう、なんとなく、似ている。



「……あの子が、陽人くん」



……アイツか。アイツね。
中坊かと思ったぞ。
生育状態がよろしいじゃねえか。
そのナリでランドセルとか、マジ似合わねえ。



声には出さず悪態を吐きながら、俺はそいつの横顔を眺める。
ひどく冷たく感じられる整った顔立ちは、長い指が器用に奏でる音にそっくりだと思った。



上手、なんだろう。
素人の耳に分かるような間違いなんて無いし、きちんと耳に入る。
強弱もテンポも滑らかさも、その全ては楽譜通りに違いない。
そこに示してあるのは大昔の巨匠達が残した熱いメッセージなんだろ?
でも、ヤツが奏でるそれには。



(…なんか、面白くない)



いや、面白味って必要ないのかもしれないけど。
なんて、言うのかな。
もっと聴いていたい、とかが無い。
熱がない、というか。
美音の音と違う。
俺がヤツを良く思っていないせい?



弾き終えたヤツは先生の講評を仰ぐ素振りすら見せず、真っ直ぐに美音を見つめてきた。
俺の隣で美音がピクリと小さく身を強ばらせる。
…失礼極まりないガキだな。
ヤツと同じくらい不躾な視線を浴びせ続けてやると、しぶしぶ目を合わせてきた。
既に歪んでいた表情の原因は、俺への嫌悪感だけじゃないような気がする。



(……何なんだ、アイツ)



「…陽人くん、さすがね。
トリルの速さが格段に上がってるわ。
ただ、右手の動きに比べて後半、左手の動きが少し鈍くなるから」

「はい、本番まで指の筋肉は地道に鍛えます」



…本当に小学生なの?アイツ。
きっと先生が言いたいこと、先取りしたぞ。
先生、苦笑してモゴモゴしてるし。
てかね、先生が話してる時はちゃんと先生の顔 見てろよ。



「先生、美音ちゃんの練習、聴いてていいですか?」



ママも、いい?とお伺いをたててる様はガキんちょっぽくもあるが。
いやまずはそこ、美音に訊くべきなんじゃねえの?と勝手が分からぬまま俺は憮然とする。
美音は、と見れば先生へ縋るような視線を送っていて、頼りなげな様。



…分かんねえ。
この2人の間に漂う微妙な空気に付ける名詞が分かんね。
無理やりチューされて嫌だった、それ以外の何かが。



俺は美音の背中をポンポンと撫で眉尻が泣きそうに下がった顔を覗き込んだ。