クラシック

…なるほど。
感情が素直に顔に出ない、ってのは考えもんだな。
昨日から一体、何人から同じ様なことを言われてんだ。
憮然とする俺を窓から身を乗り出すようにして笑う和は、手を振りながら言った。



「女の子の喜ばせ方だったら調叔父さんより僕に聞きなよ?
妄想過激派コースから清純派コースまで数多くの取り揃えを」

「どこの世界に恋愛指南を親父から受ける男子高校生がいるんだよ。
まだお前の清純派コースのがマシ」

「ああそう?じゃあねえ」



相川さん限定スペシャルバージョンで。
和はそう前置きすると、俺をチョイチョイと手招きする。
…姉貴とコイツが真面目な顔してこの仕草をする時に、俺はロクな目に遭った覚えが無いような。



「家に帰ったらね、すぐ眼鏡に変えなよ?黒縁眼鏡がオススメ。
で、美音ちゃんに近づいてそっと外す」



こう、色っぽく伏し目がちに。

添えられた眼鏡を外す仕草のどこが色っぽいんだか分からない。



「美音ちゃん止めろ、って。
俺が?眼鏡?外したら顔 見えねえだろうが」

「よく見えなくてもキスくらい出来ますよ!美音ちゃん、メロメロに蕩けちゃうって!
僕、ダテに恋愛相談にのってた訳じゃないんだから」

「この色ボケ保健医。仕事しろ」



ヒラヒラと後ろ手を振り、俺は裏門へと向かう。
まったくアイツは28にもなって男子高校生と変わりないノリ。
相談する相手は選べよ、美音。



…でも。ちょっと。
やってみようか、なんて。
いやでも和の言う通りにして結果良かった試しって…。



「僕を信じてねー!」



さすがに奏、と大声で追いかけるのは避けたか。
正常な思考能力は残っていたと見える。
俺はもう一度後ろ手を振り、コクコクと頷いた。






セキュリティーコードを入力して解錠する。
玄関の扉を開け、家の中へと入っても誰も出て来やしない。
…珍しい。皆して出払ったか。



ピアノ部屋の小窓を覗くと一心不乱にピアノへ向かう美音の姿。
外気の冷たさを纏っている俺はまだうすら寒いのに、美音は制服のカーディガンとシャツを腕まくりしている。



鍵盤を弾いた後、次の動きまでの一瞬を美音の小さな顔の前で待つような手。
その甲にキスしているような所作さえも綺麗だと魅入ってしまう。
コホ、と意味なく咳払いをしリビングへ向かった。



お袋の気配は無い。
やかましくないのは良いけれど、誰かの存在があると思って帰って来た家ががらんとしているのは落ち着かない。
メールでも?と思いスマホを手に取ったけれど。



…まあ、そうか。
一応真面目な息子が2日連続でサボるとは誰しも想定外だろう。



焦点が合わない眼前にうっすら頭痛を覚え始める。
黒縁眼鏡、どこに置いてたっけ。
バスルームの小物入れに無造作に突っ込んでいたそれを見つけ、右目のコンタクトを外す間、俺は和の言葉を脳内で反芻していた。



「…眼鏡好きなのか、美音」



ずっとかけてると鼻の付け根が痛くなるし、特注しなけりゃ牛乳瓶底みたいなレンズになってしまう。
手頃で使いやすいコンタクトを見つけてからのここ数年来、寝起きと風呂上りくらいしか使ったことがなかったけど。



美音が好きなら、なんて。
自分のそれまでのスタイルすら簡単に変えてしまえるほど。
俺は何かに毒されているんだな。





ダイニングには美音一人分の昼食が用意されている。
時計を見れば正午も近い。
呼びに行くか、と踵を返した俺は、廊下をボンヤリ歩む美音を見つけた。



「美音」



美音の耳が俺の声を聞き取り、脳が理解し目を向け身体を向けさせるその反応までの一連の流れすら愛しくてじっと見つめていた。
…笑えては、ないんだろうな、俺。
和みたく綺麗に微笑み浮かべられればいいのに。



「…えっ?な、…あ、お、おかえりなさい…」

「…ああ。今日も早退」



居るはずのない人間がここに居る驚きで見開かれた瞳は、理由を告げると落ち着いたかに見えた。
おかえりなさい、の一言に跳ね上がった俺の鼓動はまだ落ち着かないんだけど。



「…美音?」

「…っ、あっ!あのっ!ごめんなさい、お手洗い…っ」

「ああ。行って来い」



至近距離でもなかったのに。
俺を見る美音の頬、というか顔(いや首元まで)は瞬時に熱を持ち湯気が出そうなほど真っ赤に染まっていた。