クラシック

さすがに12月も後半となれば身を切るような北風が吹きすさび、知らず猫背になってしまう。
ズボンのポケットからスマホを取り出し、頭に入れたはずの美音の個人情報を何気に眺めた。
…大丈夫、口元はマフラーで隠せてる。
不意に緩んで誰かに見とがめられることはないだろう。



昨夜、メールで。
手袋の写真はないのか、と問うてみた。
しーちゃんが撮ってくれました、と添付で返って来たそれは、今 俺のスマホのホーム画面を飾っている。
…あくまで迅速かつ正確な捜索活動に必要なため、だ。



お前これ。
なんでもっと高画素のカメラで撮ってもらわなかったんだよ、と。
大いに不平不満を漏らしたい。
プリントアウトしてもキメが粗いだろうな。
怪我が損なってない美音の可愛さを手ブレ補正もついてない携帯のカメラがピンボケさせていて歯がゆい。
両の手にはめた手袋を伊野へ見せるように胸元へ掲げて。
椅子に座り屈託のない笑顔をカメラへ向けている。
教室の中だな、これ。



名前で呼ぶのをあれだけ躊躇われたのだから、と思ったけれど。
その他の情報は意外とサクサク入手できた。
身長やら体重やら生年月日やら血液型やらその他諸々。
メールの気安さが手伝ったのかもしれない。
美音の何をどう訊かれても応えられるようにしておきたいという理由が後押ししたのかもしれない。
美音の誕生日はとっくに過ぎていて、やっぱり取り戻せない流れた時間を俺は悔んだ。



『俺のも要る?』



そう、送ったメールには。



『知ってることばかりだから大丈夫』



と返って来た。
俺はまた、悔しくて歯噛みした。



じゃあ、美音。
分かってんだな。
年明け、コンクールが開催されるその日は。
誰の誕生日か、ってこと。





教室内へ足を一歩踏み入れた途端、ザワ、という効果音が俺を中心にさざ波のように広がっていくのを感じた。
…いやむしろ。
感じられた俺自身にビックリだ。
良くも悪くも不躾な視線を浴びせられるという行為自体は慣れたもんだが。



「奏ちゃん、おっはよー!」



一瞬の静寂、その後に湧きおこるヒソヒソ声と好奇の感嘆。
その中で心地好く耳に入って来た翔太の声。
俺は短くおう、と応えた。



「…あれ?今朝は訂正しない?」

「もうそこはどうでもいい。
むしろ美音がお前を内田くん、と呼ぶように訂正させた」

「…あれ、ま。
バレちゃった?密かな楽しみだったのに」

「…翔太。俺は真…」



ドカッと合皮のカバンを机に荒々しく置く音がして。
振り向けば美音の席の後ろで伊野がこちらを睨みつけていた。
相澤、と呼ばれる声にあまり感情は籠められていない。



「言っとくけど。
あたしはそこのチャラ男が流した噂なんて信じないわよ。
どんなつもりか知らないけど美音のことからかってんなら今すぐやめて」



そこのチャラ男、に反応しかけた翔太を軽く制して俺は伊野と向き合った。
伊野とも席は近かったのに、思えばこうして対峙するのは初めてかもしれない。



「噂じゃない、真実だよ。
俺は美音と真剣につき合ってるし、からかってもない。
だから、やめない」



伊野はいたって冷静で滾る感情をやみくもにぶつけてくる訳ではない。
理路整然としているなら、こっちも。
そう思い投げつけられた言葉をなぞるようにハッキリと言い返した。
30人近くの野次馬達へ聞こえたってかまわない。



「昨日の件、でしょ、きっかけは。
一応、責任 感じたからでしょ。
それまで誰のことも無関心だったくせに、他の人間は騙されてもあたしは騙されないわよ」

「騙すつもりはない。
信じてもらえるまで何度でも繰り返し言うし。
責任は感じたけどそれだけじゃない、美音には関心があるんだ。
ピアノ弾いてようとそうじゃなかろうと」

「何 言ってんのよ。昨日の今日で」

「恋なんて、一瞬で落ちるもんだろ。
俺は身を以って体験した」