クラシック




『ごめんなさい、ご飯の用意してて今気づきました。
お家に着いた?』



…メシか。メシの準備か、そうかそうか。
いや、別に理由が分かったからって、一喜一憂する必要はねえだろ。
緩んで気づいてまた引き締めた頬。
階段を上る俺はそんな奇妙な動きを姉貴と親父に見られていたなんて気づかなかった。



『着いた。
明日は8時までに来いよ。
夜はウチでメシ食ってけ』



今日は母親に何も言ってこなかったと断られたけど。
事前周知がちゃんと行われれば大丈夫、ってことなんだろ?
ダウンを脱ぎ椅子へかけると、ベッドの上へ脚を伸ばし座る。



『ごめんなさい。夜はバイトです』



…ああそう。バイトね。つれないの。
泣き顔の絵文字はついてるけど。
ズルズルと腰からベッドへ沈み込む。
仰向けになってボンヤリと天井を見上げ、放り出そうとしたスマホをそれでもやっぱり手離せずにいる。



…物わかりの良い彼氏ぶるのは1日1回が限度じゃね?
拗ねるのなんてガラじゃねえけど。



『本当に本当にごめんなさい』



続けて送られてきたメール。
返信しねえと不安がるか。
そうだよな、そりゃ。
さっきの俺だって。



『気にすんな、そのかわり』



ああ、キモいな俺。
いちいち口に出しながらメール作るって。
いっそ音声入力でもするか、マジで。



『23日は何でも言う通りにしろよ』



絵文字のつけ加えようもない横柄さ。
まあ、いいけど。
今さら飾り立てたってね。
送信、をタップした後、真っ暗になった画面に映った俺の顔。
…と、



「気持ち悪いー、奏ちゃんがー」

「…勝手に部屋 入んな、姉貴」

「ご飯よ、って呼んだわよー何度も何度も!
我慢せずにニヤニヤしなさいよー!
中途半端なのが気持ち悪いったら!」

「してねえ」

「してたわよー、良かったじゃない!
パパ喜んでたわよー、彼女の話!」



若干 間延びした姉貴の声は普段なら苛立つ原因なんだけど。
…どうでもいい、今は。



『わかりました』



そう、届いた返信。
美音、分かってんの?
何でも、ってどこまでだと思ってんの?
いやいや、そんな鬼畜じゃないけど。
…ねえ?



楽しみだ、23日。
その前に、明日か。





―――翌朝。



昨日と同じく寒そうな制服姿でセキュリティーカメラのモニターへ映し出された美音。
待て待て待て。
何故3人がかりで門扉まで出迎えに行くんだ。
ウチのお手伝いさんもそりゃ呆気にとられるわ。



「奏成の姉の律歌ですーはじめましてー!」

「ああ、美音ちゃん!今日も寒そうよ!」

「あれ、綺麗に手当てできてるね」



モニター越しに未だ耳に入るやかまし屋達の声。
たまらず玄関を開けると、ちょうど美音が親父へ応えているところだった。
母は看護師なので、と。



「や か ま し い っ!
美音から離れろ、速やかに!」



俺はな、俺は。
割と無口なのはお前達が喋りすぎだからだと思うぞ。
そういう生活環境の中で自己形成されてきたからだと思うぞ。



「…おはよう、相澤くん…」

「…おう」



初々しいわねえ。
青春だね。
でもちょっとぎこちなくない?

…という三重奏はバックグラウンドに要らんから、本当に。



「…どっか行け。仕事しろ」

「だって今日、木曜日だもーん。
休診日だもんね?パパ」

「そうだもんね」

「だもんね、はやめろ。
50超えたジジイが気色悪い」




奏、怖い、って。
聞き慣れた何度目か分からないお袋からの指摘事項は耳に入らない。
ふんわりと、美音が笑ってるから。
笑窪は登場してないけど。
朝の冷たい空気に晒された頬は、ここまで歩いてきたせいかほんのり上気し一層の艶を与えている。
触りてえのに、コイツらが邪魔。



「じゃあ奏ちゃん、行ってらっしゃーい。
ねえねえ美音ちゃん、何か1曲弾いてくれない?
あ、連弾とかしないのー?」

「あ、ママも聴かせてもらっちゃおう!」



美音の小さな背中を両側から押し、さっさと家の中へ連れ込もうとしている姉貴とお袋。
俺のことは完全に無視かい。
肩越しに俺へと戸惑いの視線を投げかけてくる心細そうな美音がせめてもの救いだ。
偉そうな2つの背中へ声を張り上げる。



「ちゃんと練習させてやれよ!
姉貴とお袋のもんじゃねえんだからな、美音は」

「奏のものだもんねえ」

「だから。
だもん、は似合わねえって」

「まあまあ。嬉しさゆえだよ」



何が嬉しさゆえ、だよ。
弄びやがって、やっと芽生えた俺の人らしい感情の揺れを。
行ってくる、とマフラーで口元を覆いながら背を竦め門扉をキ、と押した。