「まったくなあ…こうやって世の天才達は潰されていくんだよ」
私の髪をくしゃくしゃとかき混ぜると、奏成くんは一人ぽすん、とベッドへ腰を下ろした。
出来た空間にほんのり寂しさを感じていたのも束の間、手をクイと引かれ奏成くんの片方の太腿へ座る格好に…。
…ええー…。
顔が、近いんですけど。
恥ずかしがらずには、いられないんですけど。
視線、どこに置いたらいいんだろう。
私をくるりと取り囲む奏成くんの腕を熱く感じながら目を落とした。
「クラシック市場はさ、ずっと成長してきてるけど、CDの売上とかコンサート収入とか下支えしてんのはちょい年齢層高めのオジサマオバサマだと思うんだよな。
ピアノがただ巧いってだけじゃなくて…可愛いとかいい子とか二世じゃないとか頑張り屋さんとか。
美音みたくオプション付きだとターゲット層のツボ突いてさ、関係者のヤツらも売り出したくてあれこれ躍起になってんじゃないの」
つらつらと。
奏成くんは至って冷静に分析していく。
ピアノのことなんて分かんねえよ、とぶっきらぼうに言いながらもちゃんと関わろうとしてくれるんだよね。
少し乱れた私の髪へ顔を埋めるようにして話すから、とても冷静に聴いてはいられないんだけどね。
頬が、熱い。
耳の中で心臓がドクドク鳴ってる。
「美音は美音の弾きたいように…美音?」
久しぶりに直接触れる奏成くんの声。
他の男子よりちょっと低くてでもハリがあってよく通る。
硬質なスマートフォン越しでも優しさはいつも伝わってきてた。
瞬間、よくよく分かった。
奏成くんが、遠いなんて。
もう私には耐えられないんだ。
そんな想いは知らず奏成くんの胸元を掴む指に力を籠めさせる。
「…よしよし。
ごめんな。
もうちょっと待ってろ、な?」
ごめんな、の意味も。
待ってろ、の意味も。
分からなくて私は反射的に顔を上げた。
澄んだ飴色の瞳。
頬を撫でてくれる綺麗な手。
一度、こんな風に近づくことを許されたら遠くになんて戻りたくない。
コンビニのカウンター越しに。
隣の席から空を背景に。
ただただ、見つめていただけのあの頃には。
もう、戻れない。
「俺さ、レーベル立ち上げようと思って」
「…え?」
レーベル、って…レーベル?
ここ1ヶ月で何枚かの名刺をいただいたな、と思い返す。
大抵 一人で何でも決めてきたけど、求められる“良いお返事”をどこへ返せばいいのか。
今回ばかりは怖くて財布の中に入れたままだ。
「つっても所属すんのは美音とあーちゃん達のバンドだけ…ああ、陽人は、どうすっかな」
「…え?」
「今は学校あるからお袋に動いてもらってんだけど。
アイツ、意外と乗り気でさ、“代表取締役社長”って肩書にウキウキしてんの。
早速 名刺なんぞ作って」
くるくると進んでいく話の展開は、目の前にスマートフォンを突然差し出された時の驚きによく似ていた。
奏成くん、私に追いつかせて?
ほらね、奏成くん優しいから。
訴える目にすぐ気づいてくれる。
「美音は、楽しそうにピアノ弾いてんのが一番良いよ。
こんな表現、違うのかもしれんけど。
この先 プロデビューすんのもいい、名のある国際コンクールで注目されんのもいいよ…いいけど」
やっぱ、お前が楽しそうじゃないとな。
私はまたぎゅうっと指に力を籠めた。
奏成くんを繋ぎ留めておきたいかのように。
そうして、言いたいの。
楽しいよ、ピアノ弾いてる時はいつだって楽しくて幸せ。
だけど。
「…それだけじゃ…。
か、奏成くんが…いてくれないと…」
「駄目なんだろ?知ってる」
くしゃりと笑み崩れる奏成くんに私もつられて笑った。
窓から射し込む温かな光は奏成くんの瞳を深い琥珀色に変えていく。
ほんと、綺麗。
「…知ってるんだ…」
「おうよ。
美音のこと、よく知りもしねえヤツらに任せたくねえし持ってかれたくない」
「奏成くん…」
「うちだったら美音が弾きたいように、好きなように弾かせてやれる。
薄ら笑いの大人達にもみくちゃされて泣くことなんてねえよ」
奏成くんはふい、と腰を引き私をベッドの上へ下ろした。
繋がれた両の手。
奏成くんはそのまま低い位置へしゃがみ私を見上げる。
「…翔太がさ。あの日。
言ってたんだ…これが感動ってやつだ、って。
美音はそういう心の振幅を、たくさんの人に与えられる力を持ってる」
