鬱陶しいだなんて。
私はふるふるとかぶりを振って否定する。
ごくごく近しいお身内からそんな風に揶揄される奏成くんはやっぱり愛しい人で。
今すぐにでも逢いたくなった。
教室、行こうかな。
後ろのドアから抜き足差し足で忍び入れば…。
「和っ!頭 痛い!寝かせろ!」
ガラッ、とそれは勢いよくドアが開いて姿を見せたのは。
逢いたかった人。奏成くん。
…でも私、まだメール送信してないんだけど。
という疑問が表情に出てたんだろう、教室の窓の外を見ていた翔太くんが私の姿を見つけたらしい。
「そんな覇気溢れる病人なんていないでしょ。
サボりたいならサボりたいって正直に言いなよ」
「サボるんじゃねえもん。
美音、こっち…マネージャーとしては業務報告受けないと。
ベッド借りるぞー、誰も入れんなよー」
和先生のはああー、という大きなため息が聞こえた時にはもう、ベッド周りの仕切りカーテンが勢いよく閉められていた。
なんだか照れるし緊張する、なんてはっきりと思う間もなく奏成くんの温かな腕に包まれる。
「…ああー…。美音だ」
「…うん」
「おかえり」
「…ただいま」
「どうだった?凱旋公演とやらは」
「…うん。寂しかった」
そこ訊いてんじゃねえよ、と。
奏成くんは破顔しながら身体を離し、けれど声もたてずに頬を濡らす私を見るや、またぎゅうっと。
安心できる力強さで抱きしめてくれた。
「…しょうがねえなあ。
美音は寂しがりだから」
地方コンクールで優勝できて。
全国大会でも優勝できた。
嬉しさと喜びの余韻に浸る間もないまま、CDを作るための音源を録らされ、音楽関係者を招いて、あるいは出向いてのリサイタルを重ね、オーケストラの方々と地方遠征。
写真を撮られ笑顔を強要されゴテゴテとお人形のように仕立て上げられて舞台の中央に立たせられた。
天才、なんて冠言葉は。
どこか他人事のようだった。
「…分かんなくなったよ…奏成くん…」
2週間、物理的に離れちゃうでしょ?
そんな、納得には程遠い理由だった。
私のスマートフォンは相澤家のみなさんと和先生が贈ってくださったもの。
『奏ったら、きっとイライラして毒づいてうるさくて仕方ないから。
美音ちゃん、面倒でしょうけど毎日 奏へ連絡してあげて?』
カメラ、綺麗に撮れるらしいわよー、遠征先の写真送ってねー、とか。
どれだけ電話しても通話料かからないからね、とか。
念を押すように私の遠慮を何度も何度も取り除こうとしてくださった。
電話のかけ方を覚え。
メールの仕方も覚えた。
それから。
声をあげずに人知れず泣く方法も、覚えた。
毎日毎日、帰りたくて仕方なかった。
「…何が?分かんなくなった?
奏成様が導いてやるよ、言ってみな?」
「…私は…。
どんなピアノを弾きたかったんだろ…」
そう、日常は。現実は。
優勝できた、はい良かったね万歳!で。
終わらなかった。
そこで緞帳が下りるはずもなく、でも私は自分の意志だけでてっぺんのその先を選んでいる気がしていない。
歩かされ操られ弾かされている。
いつもの傍らに、奏成くんはいないのに。
「…奏成くんが、いないと…。
私の音じゃ、ないみたいで…」
「…うん。 みたいで?」
「嫌なの。…でも周りの人達はそれでいい、って言う…」
求められているのは、私なのか。
私の音ではないのか。
調べに乗せて広がる景色はどうやら必要とされていないらしい。
代わりに私の生い立ちや暮らしぶりが興味関心の的となったりして。
ピアノが好きで。
弾くことも触れるだけも見つめることすら好きで。
関わり方を疑問に感じたことなどなかった。
私の生きてきた道に当然のようにあったから。
それが、今では。
そしてこれからに、迷うなんて。
