俺はほんの少し美音と距離を詰め日常の雑多な何もかもを遮って。
俺の声だけ届けばいいと願った。
俺の、言葉だけ。
美音に響けばいいのに。
もう、身震いなんかで揺らがずに済むように。
「美音の音は、本当に美音そのものなんだよな。
俺はきっと目 瞑ってても美音の音は聴き分けられる。
どんだけ小さくて高い音でも低くて暗い音でも。
厳しいのも寂しいのも甘いのも優しいのも蕩けそうなのも全部、美音が生きてきた全部が音になるんだ」
見る間に染まる紅は頬から目元まで続き見開いた瞳は照れから逃げ場を探そうとゆらゆらしている。
逸らさせるかってーの。
俺、今から超絶恥ずかしいこと言うからな。
声が、上ずってるのは寒いせいだからな。
「…俺だけ。見てて美音。
あのステージの上から、俺だけのために弾いて」
「…っ、う、わっ」
高校生の部が始まる、と。
割れるようなブザーの音が鳴り響いた。
ロビーのまばらな人影は弾かれたように場内へと急ぐ。
たぶん目に留める人はいないだろうと、俺は美音を一度だけギュッ、と腕の中に収めた。
「頑張れ、美音」
「…はい」
「俺だけ、に。な?
たった、それだけ。簡単だろ?」
「ふふ、そうだね」
奏成くんだけに、ね。
優しく言い置いて美音は俺に背を向け控室へと駆けて行った。
…ああもう。分っかんね。
これで正解だったかどうか、いやそもそもこんなシチュエーションに正誤があんのかどうか。
キスなんて破廉恥行為は許されんだろうとは思うけど、そんな直接的な温もりの方が安心 出来たんだったりして。
「…いや、でも最後。笑窪あった」
あれは俺が幸せ気分を味わえる必殺技なんだけど。
美音も幸せ気分だったからあんな自然にこぼれてたんでは。
「戻…」
俺、今 真っ赤っかだろうな顔。
ああでも照明落ちるからな。
1人目の高校生が登壇したんだろう、拍手の音が聞こえ、俺も慌てて腰を屈めまた段差の低い階段をそろそろと進んだ。
この次の次。
瞬き、ってし溜めておけるといいのに。
一瞬たりとも見逃したくない。
《高校生の部、エントリーナンバー3番。
相川 美音さん》
俺の座席から舞台そでの美音は見えなかったけれど。
明らか誰かに促された様子で若干ぎこちなくその小さな姿を現した。
右手と右足…じゃないな、ちゃんと歩けてる。よしよし。
(…美音…)
ふるり、と背筋を何かが駆け上る。
ライトが照らし出す舞台中央の美音はいつもより随分と色白に見えた。
だからって心配することないんだ、分かってるんだけど。
ゆっくりと頭を下げお辞儀をする一挙一動が像として瞼に焼きついていく。
はう、と変な息が漏れそうになった。
見えないだろうと、思ってたんだ。
俺だけ見てて、なんて言ったものの。
緊張と不安の絶頂で一点集中することは知らず落ち着きを取り戻す術。
そう親父から聞かされたことがあった。
あの場で咄嗟に思いついたんだ。
効能の程なんて定かじゃない。
ステージの上はあまりにも明るく眩しくて、客席から美音を見つめるほどに俺らの顔なんて分からないだろうと。
思ってたのに。
「美音…?」
笑ってる、アイツ。
ああもう!笑窪、他のヤツらに見せてんじゃねえよ!
…いや。
俺だけ、に。見せてんのか。
見せて、くれてんだ。美音。
そこから、俺は。
美音の瞳にどんな風に映ってるんだろう。
願わくば、最高の笑顔でありますように。
