クラシック

そりゃあ親父も姉貴も人命を前にとんでもない緊張感と隣り合わせの時間を過ごしている訳だけど。
それは自身の業として選んだからこそであって。
好きなことと言えど知らない誰かの前で発表し評される美音ちゃんのそれとは類が違うよね、と。
親父様はのたまった。



(…ああ、でも…)



業、になるかもしれないんだよな、美音のピアノ。
今日がピアニストへの一歩かもしれない。
高くそびえ立つ壁を超えた向こう側。
そこに広がる景色、美音の隣にいるのはどうか俺であって欲しい。



「…奏成くん?」



車はいつの間にか駐車スペースへ滑り込んでいて、俺はノロノロ降車すると無意識に掌のクマを見つめていた。
ぼんやりしていた俺の視界を遮るように覗き込む美音の瞳とカチリと焦点が合う。



「…それ、ね?
抱えてる音符は“ミ”の“おと”だから」

「…“み お”か。
抱えてやってんだな、俺が。いつも」

「私の妄想力の結集です」

「リアルの方が気持ちいいのに」



してやろうか、と耳元で問えば他人様の目がありますので、と四角四面な答えが返ってくる。
耳たぶ真っ赤にして可愛いっつーの。



「他人様がいないとこでならして欲しいように聞こえなくもないけどな?美音ちゃん」

「…う、んー…ソウデスカ」



俺にとって単に“ミ”という音ではなくて。
奏でるすべてが美しい音。
もうほんっと、好きすぎて困る。
手の中のクマのモコモコ感を堪能しながらもう片方で美音の手を取りホールへと足を踏み入れた。



エントランスには長机が数脚、「出場者受付」「関係者受付」などと案内をぶら下げて既に設置してある。
この会場に慌ただしい開始直前の空気をさほど感じないのは、同じ音楽とは言えあーちゃん達のライブとジャンルも趣も異なるせいらしい。



見知った顔を見つけたのか、親父達はエントランスの隅で大人の会話をやいやい始めている。
見回せばキャッキャとはしゃぐ声、綺麗に着飾ったチビッ子達から一際抜きん出た見覚えある顔がズカズカとこちらへ近づいてきた。



「うっわ!ウザい!何それ!何その手!緊張感なさすぎだよ相澤くん!」

「…え、俺?」



若干のあどけなさが残る手を振り上げると、陽人は俺と美音の繋がれた指を忌々しそうに切った。
笑ってんなよ、美音。
俺にはこのガキくさい言動が理解できないでもない。



「美音ちゃんのお母さんは?
なんで相澤くんと来てんの?」

「一旦、職場寄ってからこっち来るんだよお母さんは。
彼氏様が付き添ってちゃ駄目なのか」

「えええもう、美音ちゃんに訊いてんのに!」

「大体なんだ陽人そのかっこ…」



似合ってんだか似合ってないんだか。
少年、だか青少年、なんだかどっちつかずだからか。
陽人の身体を包むスリーピースはいかにもお金持ちのお坊ちゃまといった風で(いや、俺も何かっちゃ着させられたけどこんなの)口の端が緩みかけた…んだけど。



「え、嘘。
今日、ドレスコードあんの?これ」



ぞろぞろと集まりかけている出場者らしき面々。
陽人ら小学生はまだ分かる、制服が無い小学校がむしろ多いよな。
でもどう見たって中学…高校生って顔ぶれも超フォーマルじゃん。
まるでそれも加点対象だとでも言うように。



「制服は学生の正装だよ?奏成くん」

「そりゃあうちの美音がどんな格好でも一番可愛いけどさ」

「…だから引くって、その発言。
毎年 美音ちゃんだけこんなんだよ」



こんなん、って。
美音へ想いを寄せているはずの陽人にしては捨て置くような物言いにちょっとびっくりして。
ちょっと目を見開いた。