クラシック




トロトロと、眠りの縁を行きつ戻りつしながら超至近距離で美音を見つめる。
至福の時、って。
こういう訪れ方もするのか。
おれはすっかり世俗的だから、美音とのそれはやっぱり初めてまぐわっちゃう瞬間かと。
決めてかかってましたけど。
反省。



しっかし睫毛 長ぇなー、美音。
バッサバサじゃんか。
アレみたいだ、フランス人形っつーのか。
姉貴の部屋で昔、やたらリアルな作りを見た覚えがあるけど。
きっちり閉じてる上下の瞼がパチッと開いて覗く碧眼がもう怖いのなんのって。



(本当に素で綺麗だな…)



変な話、美音が自分で自分の美しさに気づいていない無自覚ボンヤリで心底良かったと思った。
鼻にかけて…も良いくらいのレベルだろこれ、間違いなく。



誰かが先に見つけなくて良かった。
俺より先に見つからなくて良かった。



乏しく思えた表情の変化は、俺のすぐ傍でそれは目まぐるしいくらいに起きていく。
感情も目に映る景色の彩りもこんなにバリエーションあったのか、っつーくらい俺も知らない新しい俺を連れてきてくれる。





誰かを想って自身の不甲斐なさに焦れる日がくるとはね。
こんな打たれ弱かったのか俺。



「……な、……るく…」



つっても寝言一つで即デレんだけどね。
何これお前。
笑窪付き、って何のオプションなの。
そんなニコニコしちゃって。
俺のこと、夢の中でも呼んじゃうくらい好きなのな。





―――結局。



点滴1本終わっても美音の熟睡は続いている。
起こして連れて帰るのは本当に憚られた。
けれど、どっちが良いんだろう。
今日、美音はとことん納得いくまで総仕上げとも言うべくピアノに触れるつもりだったんじゃないのか。
最後だ。目一杯 練習出来るのは今日で最後。
明日は泣いても笑っても本番。



「…や、相澤。
もうさ、明日だよ?コンクール」

「…分かってるよ、だからだな」

「美音さ、試験勉強とか一夜漬けタイプじゃないよ」

「筆記じゃねえじゃん、明日は」



そうなんだけどさ、と反論をほのめかしながら。
だけど伊野は慎重に言葉を選んでいる。
助け船を出すように翔太が口を挟んできた。



「今日さ、学校に来た時点でさ。
美音ちゃん、普通に一日、過ごすつもりだったんじゃない?」

「うん、あたしもそう思う。
練習し過ぎて最後の最後につき指とか泣くに泣けないじゃん」



考え込んでた割に伊野の発言はやっぱりどこかズレていて、俺は口の端を苦く歪めた。
つき指、て。
美音も確かに力 籠めて弾いちゃいるけどお前と馬力が違うと思うぞ。



「…試合開始直前までやり込んで何か新しい技に開眼するとか。
リアルじゃそうそう無いからね。
今までの努力に裏打ちされた実力とほんの少し、天賦の才。
美音が明日 発揮するのは」



それが、全て。

伊野の言葉は酷く手厳しいものに聞こえたけれど。
でも、そうか。
伊野が触れてきた試合って、そういうことか。
勝つか、負けるか。
次また頑張りましょう、はあり得ない世界。



凛として立つ静寂なる舞台。
俺が知らない、見たことのない景色はきっとまだまだあるらしい。