クラシック

ひどく幼く聞こえた“いいこと”という響き。
問われた美音本人だけでなく、俺も翔太も伊野も一様にキョトン顔を返したというのに。
姉貴はよほど鈍感なのか、一人 うふふ、と声をあげそうなほど浮かれた横顔を俺に見せている。



…どうした。
大丈夫か。人として医者として。



「私と奏ちゃんはねー、干支一回り離れてて」



…オイ、マジで大丈夫か。
どこ行くんだこの話。
患者に精神修行を強いる話し方って医者として駄目だろ。



「小さい頃はとっっても可愛かったの、奏ちゃん。
ぷっくぷくで温かくていっつも良い匂いがして。
学校に行きたくなかったの覚えてるわー」

「…姉貴」



大きくなった今はちっとも可愛くないの、奏ちゃん。
なんて反意が含まれてるよな、その言葉。
学校行きたくなかった、ってのは初めて聞いた。
俺が産まれて“赤ちゃん”という存在に身近くで触れて。
そこから姉貴は親父の跡を継ぐと言い始めたらしいが。



だから、何だってんだこの話。
姉貴は何を伝えたいんだ。
口調はいつものごとくのんびりと間延びしていて。
でも不思議と苛立ちはなかった。
美音の傍で美音の華奢な指に1本1本触れながら、いつになく真剣な瞳を向けている医者としての姉貴を。
俺は初めて目の当たりにしているせいかもしれない。



「奏ちゃんをね、抱っこして眠るとね。
温かくて安心してすっごく良い夢見られたの。
バクみたいに悪い夢 食べてくれてたのかなあ」



医者の言葉としてはあまりに非科学的で頼りない。
何言ってんだ、姉貴。
ふと翔太と伊野を見遣れば、柔らかな笑みを浮かべ互いに顔を見合わせていた。
いや、そうだよな。
笑えるよな、うん。バク、って。



「…奏ちゃんのこと。
ちっちゃい頃はすっごく好きで。
途中、ちょっと嫌いになって。
でもねー、最近また好きなの」

「…マジ何なの?その告白。
姉貴の思考に追いつけねんだけど」



姉貴と同い歳の和は、さ。
まだ同性ってのも手伝って婉曲な表現も回りくどい物言いもオブラートに包んだエロ用語も理解できんだけど。
俺が物心ついた頃から姉貴はめちゃくちゃ賢くて。
そんでも従兄弟連中にあっては紅一点を蝶よ華よと甘やかすもんだから、我が道をのらりくらりと突き進んでいく背中はいつもどこか遠かった。



…好き、って。何だよ。
キモいの通り越して困惑だよ。
今日の俺は他にも未解決案件を抱えてんだぞ。
何となく上手くいかない要素が絡まり合って、明日を前に迷宮入りしそうだってのに。
何なの、その空気読まなさ加減。



「奏ちゃん?
これ1時間半コース。カテーテル引きちぎらないでねー」

「んなことすっか…ってオイ」