クラシック






自分のせいで、なんて。
思い込んでるんだろうな、美音。
手フェチだもんな、俺の手、のな。
違う、と。
何度俺が否定してみせたところで美音自身の納得なしに晴れやかな気分なんざ訪れないんだろう。



(…どうすりゃいいんだこれ)



明日を控えた今日、美音へ余計な負の要素を背負わせたような。
ため息をいくら吐いたところで怪我の治りが早くなるわけでもないんだけど。
トボトボとうな垂れ俺の隣でなんとか歩を進める美音の姿が痛々しい。





「奏ちゃあん、律歌の診察室に来て、って」



うねうねと廻る思考が翔太の声で遮られた。
俺達はいつの間にかクリニックへ着いていて、ひと足先に受付のお姉さんへ来院を告げた翔太がいつもより数段低いトーンで受け取った伝言を口にした。



「ぐえー、マジか、姉貴か」

「え、相澤、お姉さんいたんだ?」

「おうよ。チヤホヤされたアホな跡継ぎなんだけどこれがまた」

「…また?何?何故 言いよどむ?」



注射がド下手くそなんだ。

どれだけ超ド級なんだか、は俺の苦々しい表情から伊野へ伝わったんだろう、それ以上の言及を避け美音を憐れむような目で見つめている。
翔太はいつだったか経験者だからな、その時を思い出したのか口元を奇妙な形へ歪めた。



「…仕方ねえ。行くか」



親父は、と再度確認するも急なオペにかかりっきりらしい。
私的な事情で邪魔をして生まれくる尊い命を軽んじることなんて出来ないし。
…美音、血管細そう。
姉貴、探し当てれんの?



「待ってたわよー、美音ちゃん」



コンコンとおざなりなノックをしカチャリと開けた診察室のドアの向こう。
相変わらずのんびり間延びした声が美音を迎えた。



…待て。



「なんで美音待ちなんだ姉貴。
俺達の麗しい姿が目に入らねえのか?」

「奏のことなんて待ってないものー。
あら?美音ちゃんのお友達?」

「こんにちは、伊野 四季子です」

「…しーちゃん、オシャンティーな名前だったんだな」



ボグ、と気の毒な音がして俺の脇腹に黒帯伊野の正拳突きが入る。
声も無く蹲った俺から姉貴は美音を攫っていき、点滴の準備がなされたベッドへと横たわらせた。



…笑ってんな!翔太。
伊野はマジで歩く凶器だクソ。



「うわあ、血管細いわねえ。
どっちの腕が…うーん、こっちかな」



ベッド脇へ丸椅子を引き寄せ美音と相対した姉貴は、悩ましげに美音の両腕の内側、うっすら走る幾筋かの静脈を見つめている。
うわー、律歌ー、と。
練習台のように何度も針を刺された忌まわしい記憶が蘇ったのか、翔太は顔を覆った手の隙間から姉貴の蛮行を見届けようとしているし。
伊野は美音の傍らに立ち竦みゴクリと唾を飲み込む。



「…姉貴。
手の空いた看護師さんはいねえのか。
指示を出せ、静脈 探そうとすんな」

「ほんっと失礼ねー、奏。
医師免許持ってんのよ?私」

「調理師免許持ってるヤツがみんな料理の達人だとは限らねえだろ」

「…なあに?そのたとえ。ワケ分かんない」



こんなテンション高めにあつらえたやり取りの最中にあっても、美音の頬はピクリとも緩まない。
どこかを見ているようで見ていない。
俺のことも。誰のことも。
今にも泣き出しそうな潤んだ瞳が捕らえる無。
それが酷く堪えた。



「…よっし、成功ー」



俺が患者ならそんな針差したところ眺めて嬉々としてる医者に診てもらいたくねーよ。
姉貴がサージカルテープで固定した箇所を柔らかく美音の体側へ置いていくのと同時に、翔太と伊野から深い息が漏れた。



「…美音ちゃん。
いいこと教えてあげよっかー?」