クラシック

「伊野!泣きやんだなら見えるだろ?
美音の服に血とか着いてねえ?」

「う、…ん、大丈夫」



目元を紅くしほんの少し不機嫌そうに見える伊野は、泣きっ面晒して一息ついた今になって恥ずかしくなったのかもしれない。
ベッドに横たえた美音へ未だ名前を呼びながらそっと毛布をかけている。



…いいヤツじゃん、伊野。
当たり前か。美音の友達なんだから。



カラン、とベッド脇へ丸椅子を引き寄せ、腰かけた和は美音の脈を取り始める。
暫し高級腕時計の秒針と睨めっこした後、首筋に大きな手を当て次に美音の腕を取り力無く垂れ下がった指先や掌をつぶさに見る。
俺の腕の中ではやや荒かった息遣いも、今は寝息に近い穏やかさだ。
聴診器へ手をかけた和を視界の隅に捕らえ、俺はすかさずその先を制した。



「…和。待て。それは本当に必要なのか?」

「…うわ、もう。
思った通りの展開過ぎて軽く引くよね。
貧血だと思うけどさ、呼吸音 聴いときたいの」

「いやいやいや!俺もそのブラウスの下の詳しいことは知らねえのにお前が先にとかあり得ねえよ!
伊野!お前が聴け!」

「くっだらないわ!相澤!
アンタのことちょっと、ほんとぉぉぉにほんのちょこっとだけ見直しかけてたあたしの乙女心を返せ!」

「バッカ、おま、乙女って辞書で調べ直せ!ウィキってググッて出直して来い!」



しぃーっ、と口元へ人差し指を当て眉をひそめ俺達を窘める翔太が今度はお父さんのように見えた。





イテ、と知らず口から漏れる。
かなり、我慢してんだけどな。
和がニヤニヤしながらそれでも手際良く俺の右手中指の手当てを進めていくんだけど、若干 優しさが足りないと思う。
コイツが今、何を見つめ何を言いたいのかは分かってる。

 

「いいねえ。それ」

「いいだろ。これ」



だらしなく頬が緩んだ和よりも、ひょっとすると俺の方が破顔してるかもしれない。
貧血および寝不足、と診断された美音に安堵してベッド脇の丸椅子へ腰を下ろした拍子、シーツの上へ流れた制服のネクタイをキュ、と小さく掴まれた。
行かないで、ってアテレコがぴったりくる。
奏成くん傍にいて、でもいいか。
頼りなく小さな手は、ひどく求め縋るようにシルクの布地を握りしめた。



…ネクタイ、って。
ナントカの象徴って言われるよな。
何てことを俺はこれっぽっちも考えてない、絶対に。
何てことを和はあからさまに考えてる、絶対に。
ヤダヤダ、大人って。



「でも苦悩に歪んでるよ、相川さんの顔」

「…なんでだろな」



過度のプレッシャーやストレスは人間の快適な眠りを妨げるんだろう。
額から玉のような汗は消え、呼吸も柔らかな日常を取り戻したけれど。
時折、美音の印象に不似合いな呻き声が薄く開いた唇から漏れてくるし、それと同時にきつく眉が顰められる。



「…悪い夢でも見てんのかな」



起こした方が良いんだろうか。
明日に備えたメンタルコンディショニングには悪影響なんじゃね?これ。



「…美音?」



固く閉じた上下の瞼。
俺の声へ呼応するかのごとく、その隙間に水分がじわりじわりと滲み浮かぶ様を俺は息をのみ見つめていた。