クラシック

「ちょ、伊野!
美音の手は?!指とか怪我してねえ?!」



不自然な格好で俺は美音の下敷きになってたもんだから。
とにかくちっこい身体を抱き留めて、だから一番気になってた美音の手の無事を確認したかった。
美音自身は、貧血っぽい。
冷や汗に濡れた額が何とか視界に入る。



「ああああ相澤っ、おお落ち着いてっ!」

「相澤くんが怪我してるわよ!」

「お前が落ち着け伊野!
先生、俺は大丈夫だけど保健室に」



行かせて、だか。行くから、だか。
鷹揚に断定してしまった。
一人称も“俺”だし。
先生連中の前じゃネコかぶってきたのになんてこった。
内宮先生の目がまんまるにひん剥かれてるのは、俺が怪我してるって理由からだけじゃねえな。
もうどうだっていいけど、そんなの。
美音の身体をお姫様抱っこし直して白くて細い指を中心にくまなくチェックした。



「うし。美音はどっこも怪我してねえな」

「み、美音っ?!美音ー!目 開けてよー!」

「も、泣くなよ伊野。お前も来い、保健室」

「わ、待って奏ちゃん!
ちょ、指!止血すっから」



翔太は自分のハンカチをフワリと広げると、俺の右手中指を覆い第一関節でキュ、ときつく結んだ。
爪が半分剥げてるよ、と手元が見えない俺へ実況報告してくれる。
だからの流血か。
いや、さして痛みも感じなかったけど。
お前のがよっぽど医者の息子っぽいぞ。かっけえ。



「休み時間だし、翔太も来て?
内宮先生、俺らサボリじゃないって佐野先生に言っといて下さい!」



ワラワラと教室を後にする俺達へ カッコいい、と甘い呟きが寄せられる。
翔太だろ、確かにな。
俺の自慢の友達だよ、カッコよくて当たり前。
メソメソする伊野をあやしてる今は、お母さんみたいだけどな。



「和っ!緊急事態!」



俺の先導を務める翔太がクリーム色の扉をカラカラと開いてくれる。
大きくなっていく隙間に向かい一刻も惜しくて大きな声を投げ入れた。
茶を啜る音付きで なあにー?と応える呑気さに若干苛立つ。
クルリとこちらを向いたイケメンのマヌケ面は、しかし一瞬で真摯に職務を遂行しようとする保健医のそれに変わった。



「…どうした?何があったの?」

「授業中にぶっ倒れた。顔色は今朝から悪かった。熱も怪我もなし。
ここんとこずっとピアノの練習ばっかしてて。
あ、疲れとプレッシャーはすっげあると思う」

「いや…うん。相川さんじゃなくてキミの方。
手、どうしたのよ? 血、ボタボタ出てる」



伊野を気にしてか、他人行儀な「キミ」発言に心細さを感じてしまう。
カッコ悪い、俺 かなり焦ってんだな。
美音が大丈夫なのかどうか早く診てもらわないと安心できねえんだけど。
医師の見立て、ってだけじゃない、近しい者の信頼できる言葉とか、具体的な助言。
うってつけの和からもらいたいのは、ほんの少し毒が混じるであろうそんな温かさ。



「…別に、どうも。
伊野、コイツ 俺の従兄な。
知ってんの美音と翔太だけだから」

「…っ、はっ?!えっ?!」

「…あれまあ。珍し」



伊野の涙は一瞬で止まったらしい。
俺は美音を抱えたまま硬いベッドが据え置かれている保健室の奥へズカズカ進む。
倒れる美音ちゃんを抱き止めようとしてどこかで爪を引っかけたっぽい、と。
翔太が的確なジェスチャーに表情まで添えて説明をしてくれていた。