クラシック






新学期が始まってからも美音は相変わらずピアノ漬けで、前にも増してピアノ以外がボンヤリしっぱなしだ。
それでも綺麗に櫛の通ったサラツヤの髪とか。
皺一つない制服のブラウスとか。
毎日の授業に必要な教科書にノート。
整えられている“ピアノ以外”の部分に美音のお母さんのご苦労を窺い知る。



…これ、顔まで洗ってあげてんじゃないの。
風呂入れたり、とか。
そこは俺が代わってやってもいい、うん。





正月明けてすぐ。
美音のお母さんは豪華な菓子折りを手にうちを訪ねて来られた。
お世話になりっぱなしでご挨拶が遅れまして、に始まって。
そうして、聴かせてもらった。



美音の、お父さんの話。
ピアニストを目指して、夢半ばで志を絶たれた。
自身の知られざるルーツを身に沁み込ませた今、美音の集中力は半端ない。
優勝して、音大に行きたい、と。
震える声でお母さんへ宣言していた。



いつも、考えてる。
美音の傍らで俺ができることを具体的に。
ただ居ることだけが力を添えてるとは思えないから。



頭の中で何度も何度も繰り返し練習を重ねてるんだろう。
それは時々不意に口をつき、白い細く指を空に描いた鍵盤の上で動かしていく。



…超絶可愛いくせして。
事情を知らない誰かが目にしたらドン引き確定の奇妙さだ。
だから俺はいっつも美音の傍に居て、そんな不躾な輩の視線から身を挺して守ってるワケ。美音のこと。



「…見慣れないわ、どんだけ目にしても」

「…朝のご挨拶はおはよう、だぞ。伊野」



年明け最初の登校日。
俺の中では当たり前の行動に落ち着いた、美音を朝から迎えに行く、ってやつ。
それから連れ立って学校までゆるゆると歩いて行くんだけど。
居並ぶ俺らの姿を見るなり、瞠目した伊野は暴言を吐いた。



…お前な。気持ち悪い、って何なんだ。
あけおめ、とか。
ことよろ、とか。
元気してた?とかよりも!
まずもって 気持ち悪い、ってどういうことだ!
俺 見て言ってんじゃねえぞ、テメ。
美音の友達じゃなかったら鉄拳制裁下してやるとこなんだけど(でもコイツ、空手黒帯なんだよね)。



「いやさ、その相澤のさ。
キャラが定まりきってない痛々しい感じが若干引く」

「キャ、…生きてくのに必要か?それ」

「もうかぶんないの?重いネコ」



軽口は突然トーンを変えて。
抉るような視線が俺を射抜く。
何かに没頭し邁進してっぺんを極めたいと努力する人間の眼力には総じて圧倒されるもんだ。



…美音のが可愛いけどね。



「かぶんねえよ、もう。
美音の前でだけデレ属性ギアサードでいく」

「…うゎ。やっぱ何かキモい」



ひそめんな、眉を。
本当にお前、美音の友達なのか。
口をついて出た俺の心の声は傍で聴き耳を立てていた翔太の笑いを誘い、伊野の口角をニヤリと引き上げさせた。



「友達だわよー、アンタ知らないでしょ?
美音、こんなボンヤリになったこと前にもあるよ」

「…何だそれ、教えろ」

「マジむかつくエラソ王子だね?!」



いいから、と先を促すと目を眇められる。
いつだよ、こんなボンヤリって。
ことコンクールに関しては今までずっと“頑張らない”印象を周囲に与えてたんじゃなかったのか。
俺の知らない美音なんて、本当にまだまだたくさんいる。
当然だ、自業自得。
美音本人の口からじゃない周囲の言葉を耳に入れていくたび、俺の胸の内はチクリチクリと痛みを覚えていくんだ。



「去年の…いつ頃だったかなあ。
美音のバイト先でさ。
ガム、買って行ったヤツがいたんだって」